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【第22回】正直TKA,過去-8

阪和第二泉北病院 阪和人工関節センター 総長
格谷義徳 かどや よしのり

師匠との出会い

帰国後しばらくは“聞く耳を持たない”ことを自分のモットーにしていた。もちろんTKAに関しては,なのだが,10年遅れの周りの言うことを聞いても仕方ないと思っていた(今思えば生意気でイヤな奴である)。インターネット環境も整い,ORS,AAOS,AAHKS,CCJR,EFFORTなど海外からの情報源には事欠かなくなっていた。だからそれらを聞いて知識をアップデートしておけば,国内で周りに追いつかれる心配はなかったのである。学内でも大学院生に英語論文を書いてもらって(さえ)いればある意味安泰だった。“留学中の外貨預金”を元手にした利子生活みたいなものであるが,方向性としては間違ってはいなかったと思う。要するに“周りが馬鹿に見えている(失礼!)”うちは自分がまだブルーオーシャンにいる証拠だと考えていたのである。

I hear you but I am not listening

そんな風だったから“奈良にすごいTKA surgeonがいて,可動域が半端ない”と聞いても“ふーん,それがどうした?”くらいにしか思わなかった。ちょうど1990年代終わり頃のことだったと思う。そもそも可動域,特に深屈曲に対する要求は本邦独特のものであり,Freeman自身も120度曲がれば十分だと考えていた。だから生意気盛りで悪い意味で●●●●●世界基準であった私には,正座ができるとかよく曲がるということは,さほど興味をそそられる話題ではなかった。あえて耳を塞いでいたと言ってもいいのかもしれない。だから“手術見学に行きますか”と担当者から聞かれて“エエわ”とにべもなく断った記憶がある(今思えば世間知らずのくせに,本当に生意気であった。ごめんなさい)。

その奈良のカリスマTKA surgeon(?)は,当時香芝旭ヶ丘病院におられた近藤誠先生であった。先生はその後,私のTKA手技に関して唯一無二の師匠となる(と言っても私が勝手に師匠に決めただけ)のだが当時は知る由もない。“日本で学ぶものなんかない”とイキがり続けていた私が,近藤先生に実際にお会いするのは,それからずいぶん経過した2003年の第33回人工関節学会(於別府市)の時になる。

初対面の挨拶の後すぐに“学会発表の前でむちゃくちゃ緊張してんねん。昨日は眠れなかった”などと話してくれた。私からすれば,すでに全国に名前は知れ渡っているし,実績もある人が不思議だなと感じた。“皆に教えたる”くらいの気持ちで発表すればいいのにと思ったのでそう言ってみたが,近藤先生が仰るには“ただ患者さんの方を向いてやってきた大工さんなので,学問的なことは自信がない”とのことであった。一貫して理屈先行であった私にとっては驚きであり,一を知って百を言う人が多い(?)この業界の中で新鮮に感じたのを覚えている。実際発表を聞いてみると,謙遜はいいから要点だけをパンチを効かせて伝えたらいいのにと感じた。その意味ではもったいないし,伝え方という点では改良の余地は多くあったのだろう。

近藤先生が発表しておられたのは,深屈曲だけではなくTKAにおける各部位の骨切りの順序とそれらの意味についてであり,手技を考えるうえでとても示唆に富むものであった。伸展ギャップに合わせて屈曲ギャップを作成するReversed gap techniqueと言うべき手技を推奨していたのだが,それを誰にも教わらずに“自分で考えた”というのがすごい。それを聞いて本当にびっくりした。人の真似や批評は容易いが,実際に最初にやってみるのはとても難しく,凡人にはほぼ不可能である。当時近藤先生が考案した方法がModified gap techniqueあるいはGap balancing techniqueとして認知されていくのだが,世界基準でのOriginality,Priorityについては改めて検証してみたい。もっともその考案者であるご本人は誰が先だとか,Originality,Priorityに関しては(今でも)まったく無頓着なのだが・・・。

概して英語圏(特にUSA)の人々は自己アピールの重要性を叩き込まれており,そのための教育も浸透している。そしてなんでもPriorityやPatent,そして最終的にはMoneyである。近年はわが国でもそれに倣って自己アピールを推奨する風潮があるが,私自身は面接で自分の長所を流暢に喋れるような人は好きではないし,信用できない(ような気がしている)。古いかもしれないが根底では“巧言令色少なし仁”という感覚が染みついてしまっているのである。

手術はいくら症例を重ねても,相手が人間だから結局分からないことも多い。だから “分からない”モノを分からないと言える正直さは絶対必要である。そのうえで熱意と実績に裏打ちされた外科医には “俺に分からないものがあんたに分かるか?”という自信と迫力も自然に身についてくるものだ。謙虚さと自信の適度なバランス(モザイク?)ということかもしれない。近藤先生は百を知っているのに一しか言えていないので勿体ないとは思ったが, “この人の言うことは間違いなさそう”と感じさせる自信や迫力もあった。これは理屈ではない。スポーツや絵,音楽においてそうであるように,天賦の才があり,努力してきた人を間近にすると“モノが違う”とすぐ分かる。逆に言えば虚勢を張っていても“張りぼて“はすぐ見破ることができる。ごまかしは利かないものなのだ。

天賦の才を持った人たちが,精進努力して争うといえば棋士である
最後は”わしに分からんモンがあんたに分かるか?”という迫力、胆力の戦いである

私に当時一番足りなかったのは“実際の臨床経験”と謙虚さだったので,その意味では申し分ない師匠であった。特に“患者さんを診る”ということに関しては,私が(というより一般人が)とうてい真似できない真摯さがあった。手術の一部始終をすべてビデオに収録して,術後気になったら見直すとか,気になることがあると担当者に真夜中でも電話する(されるほうも大変!)といったエピソードが示すように“人工関節道を極める”,あるいは“人工関節の鬼”ともいえる仙人生活をしていたとの噂もあった。病院にほとんど毎日泊まり込んで,人工関節を抱きながら寝ていたという話もあながち誇張ではないらしい。

修道僧,特に深い意味はない。

私自身はそんな根性も熱意もないし,少なくとも人並みにはエエ加減,軟弱派なので絶対に●●●そんなことはできない。近藤先生はこんな私にも惜しみなく知識を与えてくれたのだが,有り難かったのは,仙人生活や滅私奉公といった精神論を私に押しつけなかったことである。生き様は別問題なのである。

外科の世界では,厳しい職人の世界と言えば聞こえはいいが,不条理で不合理なやり方がまかり通ってきたきらいがある。私は多様性を認めて,自分と他人の境界線をはっきりさせることが教育の前提になると考えている。そのうえで“外科医は技術職である”ということを厳然たる事実として認識すべきである。純粋に技術の習得なのだから精神論は不要であるばかりか,かえって有害である。精神的な不条理や不合理は廃されるべきなのだ。そのために指導者側は手術を論理化して,いい意味でマニュアル化しなければならない。自分の手技を分析して各ステップの目標と手技を明確にすることが必要になるのだ。今までこのような観点から(外科手技の)指導者の役割を捉えたことはあまりなかったように思う。結局弟子が上手くならないのは師匠としての貴方の能力が低いせいなのだ。

私がその後近藤先生と師弟関係を長く継続できたのは,お互いの得意分野・長所が異なっていたことはもちろんだが,他人は変えられない(変える必要もない)ということを尊重して,ほどよい距離感が保てたことも大きな理由であったような気がしている。
                             (つづく)


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