【第30回】正直TKA,過去-16:過去から現在へ:温故知新と吾唯足知(吾唯足るを知る):その3
阪和第二泉北病院 阪和人工関節センター 総長
格谷義徳
前回までで,術後機能向上を目指したチャレンジが許されるかどうかの判断基準は“時”と“場合”であると述べてきた。そして1980年代ならまだしも,それから50年が経過した現在,成熟した分野だからこそ“足るを知る”ことがとても重要であることを強調してきた。
では“場合”とはなんだろうか? 外科手術とは,人体を傷つけることが許されているという点で他の分野とは決定的に異なる。失敗が許されない(正当化され難い)とても特殊な“場合”なのである。
人工関節は命には関わらないから・・・と考える人もいるだろう。しかし,痛みなく動けるということは幸福な日常生活のための根源的な要素である(最近実感している。年かもしれない)。そして命に関わらず機能向上が大命題だからこそ,一か八かに賭ける必要性はまったくない。工夫した新しい方法でやってみたけど“失敗しました”とか“上手くいきませんでした”という状況は,患者側から見ればとうてい許容できない。自分が受けるのなら慎重にも慎重を期してほしいと思うものだ。誰でも自分が実験台にされるのはご免被りたい。
それを踏まえたうえで,“機能向上を目指したチャレンジ”が絶対に許されないのかと言えば決してそうではない。それでは進歩がなくなってしまうのもまた事実である。ただ外科手技の特殊性(場合)を考えれば,“限られた施設”で,“限られた術者”が,綿密な計画の下に“段階的”に挑戦していくのがあるべき姿であろう。そして,患者側に安定した成績が得られる旧来法があることの説明が十分になされるべきである(もっとも,そんなことをしていたら希望する人がいなくなってしまうだろうが・・・)。
このような外科手術の特殊性と関連して,TKAという術式を考える立場が忘れてはならないことがある。それは
適応の拡大は患者側にだけでなく術者側にも起こる
という事実である。
難治症例を手術するのが本当の専門医,pioneerであった時代が終わると,新たに適応とされた症例の患者さんに対しては“一般の”整形外科医も参画してくる。これが実は大問題で,手技的な習熟度や技能はもちろんだが,何より手術で一番難しい“判断”の問題が顕在化するのだ。重要な点だから再度強調しておくが,旧来法には万能性があり禁忌となる症例がない。つまり新しく参画した一般的凡人整形外科医にとっても,適応症例も含めた“判断”をしなくてもよいという最大の(?)利点があるのだ。
旧来法と改良法を比べてはいけないし,もし比べるなら別の視点が必要となるということを論じてきた。しかしながら“美味しい症例”に“それならできる”&“手技的には難しい”けれど“夢のありそうな”手術手技が,“耳障りのよいキャッチフレーズとともに”導入されるという状況は変わっていない。その意味で“TKAの民度”もそれほど上がっていない。言葉は悪いが“〇〇はいつでもいる”し“〇〇は〇〇のまま”なのだ。だからこそ考えておかないといけないのが, 先述の“万能性”と関連した“術式全体のLearning Curve”という視点である。これについては,拙書『阪和人工関節センターTKAマニュアル—Basic Course—』(メジカルビュー社)の“本書のコンセプト”の中に,これ以上は上手く書けないと思うぐらいの記載があるので,それを引用することにしよう。
読み返してみても,正しいことを言っていると思うし,上手く書いてある(と思う)。身も蓋もない言い方をすれば,われわれ凡人が思いつくものなど,古今東西あまり変わらないものなのだ。時代を進められるのはいつもごく少数の天才だけなのだが,読者の皆さんも含めて私たちが天才である確率は限りなくゼロに近い。だから大多数の凡人は先人に学び,用心深く事を進めるに越したことはないのである。
(つづく)
※TKAの手術手技に関する書籍の購入はこちらから↓
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?