阪和第二泉北病院 阪和人工関節センター 総長
格谷義徳
それでは外科手技の習得,もっと広く言えば若手外科医の教育はどうあるべきなのだろうか。私は結局“その術式全体のLearning Curveを最小にすること”を目標とすべきだと考えている。これについては私の書いた『阪和人工関節センター TKAマニュアル—Basic Course— 』の冒頭で書いた“本書のコンセプト”が(自分で言うのもなんだが)これ以上ないほど上手く書けている(と思う)のでここに再度掲載しておく。
ついでだから,もっと身近な問題として“不器用な人は外科医を目指さないほうがいいのか”ということについても考えてみよう。さまざまな意見があるのは承知しているが,“器用・不器用は関係ない説”が一般的であろう。外科医の門を叩く資格として器用さは必須でない,とか極端でなければ努力で克服できるなどという表現も目にする。Politically correctな意見であろう。しかし私自身は自分が不器用(空間認知能力も含めて)だという確信があるのならできるだけ外科医の門は叩いてほしくない,と思っている(願っているというべきかもしれない)。
そもそも不器用な人というのはどういう人を指すのだろうか? 私が定義するなら“一定の外科手技レベルに達するまでに多くの症例を要する人”だと思う。これは穏当な表現だが,身も蓋もない言い方をすれば,なかなか上手くならないどんくさい外科医ということになる。彼が上達する過程で下手な手術をされる患者の身になればたまったものではない。少なくとも私はご免被りたい。その意味では器用で外科的センスのいい人をなんらかの方法で選別したうえで,手術手技のトレーニングをしてほしいというのが皆の偽らざる気持ちだろう。本音では皆不器用でセンスの悪い人は外科医になってほしくないのだ。自分が練習台にはされたくないから。しかしこのことはやってみないと分からないし,外科医の本来持っている能力(理解力,判断力,器用さ)の差については,公に口にするのはタブーとされる。このあたりのことも先に挙げた拙書にこれ以上ないほど上手く書けている(と思う)のでこれも掲載しておく。
今読み返してみても,論理的だし,大事なことはちゃんと書けている(と思う)。なんでもそうだが,人間“弱みが強みになったためしはない”のも事実なのである。それを心に留めたうえで我々は自分の技術とその伝承方法を考えるべきなのだ。“生き様”など見せて人様を導こうとする前に我々の意識改革が必須である。繰り返しになるが弟子が上手くならないのは師匠としての貴方の能力が低いせいなのだ。
(つづく)
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