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【第24回】正直TKA,過去-10

阪和第二泉北病院 阪和人工関節センター 総長
格谷義徳 かどや よしのり

それでは外科手技の習得,もっと広く言えば若手外科医の教育はどうあるべきなのだろうか。私は結局“その術式全体のLearning Curveを最小にすること”を目標とすべきだと考えている。これについては私の書いた『阪和人工関節センター TKAマニュアル—Basic Course— 』の冒頭で書いた“本書のコンセプト”が(自分で言うのもなんだが)これ以上ないほど上手く書けている(と思う)のでここに再度掲載しておく。

本書には必ずしも正しい主張,事実ばかりが書かれているわけではありません。いきなりの暴言で驚かれたかも知れませんが,その理由はいくつか挙げることができます。

1つめは,本書が“正しい”手術を記載することではなく,“TKAという術式全体のLearning Curveを最小にする”ことを主眼として書かれているからです。優れた外科的センス(重要な才能ですが,備えている人は限られています)を持ち,かつ経験を積んだ術者にとっての“正しい”手術が,経験の少ない術者にとっても正しいとは限りません。誤解を恐れずに言えば,大多数を占める凡人整形外科医が習得を目指すべきは,単純明快(選択肢がないことが重要です,なぜなら判断能力こそが対象読者に一番欠けている部分だからです)で,特別な技能がなくても,安定した成績が得られる術式です。しかしそのような視点から書かれた教科書というのは私が知る限り存在しません。

2つめは,私自身がこの狭いTKAの分野においても,すべての最新知識を持っているわけではないことです。人工膝関節置換術には医学はもちろん機械工学,バイオメカニクス,材料学,その他学際的な領域も含めて多くの分野が関係し,各々に優れた専門家がたくさんいます。専門家としてできるだけ多くの知識を吸収しようと日々努力はしていますが,彼らと同じ学問的レベルで常に“正しい”論述をするのは一整形外科医としては困難です。

最後の理由は,そもそも多くの問題で何が正しいのかがはっきりしないことです。例えば“TKAの良好な成績のためには,正確なアライメントと適切な軟部組織バランスが重要である”という金科玉条的記述に関しても,近年懐疑的なエビデンスが数多く報告されてきました。これは正常膝でも生理的内反といえる集団が存在することや,外側弛緩性があるため,正常膝での屈曲ギャップは長方形でないという事実からみれば当然でしょうが,最近まで注意を引くことはありませんでした。TKAを“正しく”設置することは,成績をさらに向上させるためには重要な研究分野でしょうが,実際の手術に必要なのは“正しさ”の追求ではなく,“誰でも安全に最大限の効果を得る術”を知ることです。

本書では,私の25年以上の執刀医としての経験をもとに,現在若手整形外科医に指導していることをシンプルな論理で解説してみたいと考えました。読者の皆さん(ごく普通の,比較的経験の少ない術者を想定しています)に直接手術場でお話しするつもりで書いた,私見に満ちた文字通り“阪和人工関節センターTKAマニュアル”と呼ぶべき内容です。ですから,皆さんが今までの教科書で読んだ内容とは違うかもしれませんが,ちゃんと読んでもらえれば“その視点から論理的に考えるとそうなるだろう”と納得してもらえると思います。

TKAは現在,8万件以上が行われる一般的な術式となりました。そして数多くの新しい術者が迷いながら手術を始めています。”Learning Curve"という言葉がありますが,実際の手術において,これは“患者さんを使った練習”に他ならず,手術を受ける立場からはとうてい容認できるものではありません。その意味から最初に習熟すべきは単純かつ手技的に容易で,安定した成績が得られる術式に限定されるべきであるというのが本書の基本的な考えです。

現在TKAを指導している著者が,最大の目標としているのは,繰り返しになりますが“TKAという術式全体のLearning Curveを最小にすること”です。そしてそれが患者さんにとっても最も重要であることをご理解いただけるなら,あなたのまず知るべきことはすべて本書に書いてあります。

(『阪和人工関節センター TKAマニュアル—Basic Course—』(メジカルビュー社)より引用)
Learning Curveには個人差があるし,必ずdummiesが存在する。

ついでだから,もっと身近な問題として“不器用な人は外科医を目指さないほうがいいのか”ということについても考えてみよう。さまざまな意見があるのは承知しているが,“器用・不器用は関係ない説”が一般的であろう。外科医の門を叩く資格として器用さは必須でない,とか極端でなければ努力で克服できるなどという表現も目にする。Politically correctな意見であろう。しかし私自身は自分が不器用(空間認知能力も含めて)だという確信がある●●●●●のならできるだけ外科医の門は叩いてほしくない,と思っている(願っているというべきかもしれない)。

そもそも不器用な人というのはどういう人を指すのだろうか? 私が定義するなら“一定の外科手技レベルに達するまでに多くの症例を要する人”だと思う。これは穏当な表現だが,身も蓋もない言い方をすれば,なかなか上手くならないどんくさい外科医ということになる。彼が上達する過程で下手な手術をされる患者の身になればたまったものではない。少なくとも私はご免被りたい。その意味では器用で外科的センスのいい人をなんらかの方法で選別したうえで,手術手技のトレーニングをしてほしいというのが皆の偽らざる気持ちだろう。本音では皆不器用でセンスの悪い人は外科医になってほしくないのだ。自分が練習台にはされたくないから。しかしこのことはやってみないと分からないし,外科医の本来持っている能力(理解力,判断力,器用さ)の差については,公に口にするのはタブーとされる。このあたりのことも先に挙げた拙書にこれ以上ないほど上手く書けている(と思う)のでこれも掲載しておく。

医療技術を語る際にしばしばLearning Curveという言葉を耳にしますが,ちょっとでもその意味を考えたことがあるでしょうか? 日本語では習熟曲線と訳され,縦軸を習熟度,横軸を時間にしたときのグラフで,もともとは心理学で使用された用語です。この概念を手術手技に当てはめた場合には,横軸は患者数ということになり,

“この術式にはLearning Curveがあります”ということは,“未熟な術者は患者さんで練習して,だんだん上手になります。”ということに他なりません。そしてさらに深刻なのは

“どんな名医にも初めての手術がある”という極めて単純な事実です。すなわち手術手技の習得にLearning Curveは厳然と存在し,避けては通れないものなのです。

人間にはそれぞれ個性があり,得手不得手があります。ですから同じ外科医でも体型や性格と同様にその能力には差があります。ここまではほとんどの人が受け入れており,皆さんは次の文を読んだ時に特に違和感はないと思います。

1.術者によって技量に差がある。
2.手術の習得にはLearning Curveが存在する。
3.Learning Curveには個人により大きな差がある。

なぜならこれらの記述はすべて真実ですし,社会的に問題視されることのない(少ない)表現で主張されているからです。では次はどうでしょうか。

1.手術の上手な外科医も下手な外科医もいる。
2.誰でも始めから上手に手術できるわけではない。
3.外科医の中にはすぐ上手くなる人も,なかなか上手くならない人もいる。

こうなると社会的タブーともいえる部分もあり,なかなか公言しにくくなってきます。さらに

1.手術の下手な外科医がいる。
2.誰でも始めは手術を失敗する。
3.手術に向いていない(適性の低い)外科医がいる。

こうなると一般的にはまず見かけることのない記述といえるでしょう。しかし,本質的にはこれらは最初と同じことを言っているに過ぎません。特に最後の外科医の本来持っている能力(理解力,判断力,器用さ)の差については,公に口にするのはタブーとされます。しかし現実には世の中に名医がいるのと同じ確率で(多分もっと高い確率で),手術に向いていない外科医がいるのです。手術に向いていないというのは差別だとお怒りになるかもしれませんが,これは,“同じ手術レベルに達するまでに多くの症例を要する外科医がいる”という適性の差を指摘しているにすぎません。優れた術者の手術はアート(芸術)に例えられ,“職人芸” “神の手”という賞賛を受けます。この事実は,人々が体にメスを入れるという(本来許されない行為である)手術 が”芸”であることを(無意識のうちにでも)感じているからではないでしょうか? しかし,どれほど努力しても絵が上手く描けない人はいるし,音痴が矯正できないこともあるのです。それと同じようにどんなに頑張っても上手く手術できない(なかなか上手くならない)外科医が確かに存在します。それは誰も知りたくないことなので,世の中には“名医礼賛”の情報ばかりが溢れることになってしまうのです。さらに手術には絵画や音楽の習得と根本的に異なる側面があります。長い間必死に努力して,絵が上手に描けるようになったり,上手に歌が歌えるようになったりすれば,賞賛され,美談になるでしょう。しかし,手術に関しては,適性の低い術者が不断の努力をすることはLearning Curveの犠牲者を積み上げることに他ならず,患者さんにとっては迷惑以外の何物でもないのです。

私がなぜこんな“不愉快”な話をするのかとお怒りになる読者もいるかもしれません。ですが次のように考えてみてください。本書の最大の目的は“TKAという術式全体のLearning Curve を最小にすること”です。そしてそれは次のようなシンプルな式で表されることになります。

TKA全体のLearning Curve =新しく始める術者数 × 必要症例数:f (難易度)

新しく始める術者の数は急速に増えていますし,当然のことですがその質(適性)はコントロールできません。ですからある程度の割合で前述の“適性の低い”術者数は増えるとしてその対応を考えざるをえません。不愉快でしょうが現実を冷徹に分析して受け入れないと正しい対応はできないのです。すると残された対策は,上達に要する必要症例数を減らす以外にないということになります。必要症例数は難易度の影響を強く受けるのは自明の理ですから,私たちにできるのは手術の難易度を下げること以外ないのです。

(『阪和人工関節センター TKAマニュアル—Basic Course—』(メジカルビュー社)より引用)


今読み返してみても,論理的だし,大事なことはちゃんと書けている(と思う)。なんでもそうだが,人間“弱みが強みになったためしはない”のも事実なのである。それを心に留めたうえで我々は自分の技術とその伝承方法を考えるべきなのだ。“生き様”など見せて人様を導こうとする前に我々の意識改革が必須である。繰り返しになるが弟子が上手くならないのは師匠としての貴方の能力が低いせいなのだ。

                      (つづく)


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