新入社員の頃の恩師

が今年3月で弊社を辞めてしまった。
勤務地が離れてしまったため、
直接お礼を言うことも出来ず、
気付いたら居なくなっていたパターンだ。

出会いは1年目の配属直後であった。
私自身、大学時代の専攻と
全く違う分野の会社に就職することになり、
その分野に関しては
1から勉強することが必須であった。

この時点で仕事を覚えるだけでも
相当なハンディがあるのだが、

私の代から外国人採用が始まり
日本語も勉強中であったため、
その同期のフォローもしなければならなかった。
(指示された内容を噛み砕いて説明する、
週報などの文章の添削など。)

会社に慣れていく、仕事を覚えていく。
これは新入社員誰もが通る道。
しかし、ここまで悪条件が揃っているのは
なかなか居ないのでは?と思っていた。

更に逆風があり、当時5年目の上司が
かなりのスパルタで、
仕事を丁寧に教えない&叱りつけるタイプだった。
仕事に関する質問もなかなか出来ない。
ただでさえ、エネルギーを消耗しているのに、
この人に気を使うだけで更に消耗していった。

正直、しんどかった。
配属を機に引っ越して
地元を更に離れたので、
辞めたい気持ちもあった。

そんな私に転機が訪れる。
配属されてから2週間ほど経って、
仕事に付いていくだけで手一杯だった頃。

比較的優しめの案件を
当時7年目の先輩とやることになった。

初めましてだったので
改めてあいさつをすると、
「◯◯さん(私の名前)って1年目?」
と聞かれ、
「そうです、今年から入社しました」
と返すと、
「1年目か!この課としてなら同期やで!
大変やと思うけど一緒に頑張っていこうな!」
と返された。

その先輩は私の入社と同時期に
私が配属された課に異動してきたため、
その課としての所属期間はほぼ同じであった。

キャリアとしては私より6年長いので、
「同期やで!」はもちろんジョークである。

ただ、この瞬間に私の肩の荷が
フワッと下りたような感覚がした。

私の立場を少しでも理解してくれる人が
こんなにも近くに居る…
それだけでも嬉しかった。

立場を理解して頂いたこともあって、
仕事のやり方についても
丁寧に教えてくれた。

ただ教えてもらうだけではなく、
たまに考える機会も設けてくれて、
そこで仕事をやるための頭を鍛えられた。

質問に対して合格点でない答えを
返してしまっても、
「良い線行ってるね」とか
「もう一声!」とか
全否定されなかったことが嬉しかった。

もちろん、厳しく教えられたこともあった。
私の仕事は製品の試験業務なのだが、
その試験をしっかりやらないことで
クレームになると
どれほど迷惑を掛けてしまうか、とかは
しっかり教え込まれた。

ただ数値だけ基準を満たせば良いわけではない
としっかり教え込まれた。

かなりまずいミスをしたこともあった。
案の定、叱られたんだけど、
5年目の上司みたいには一切怒鳴らなかった。

「えっ…怒らないんですか?」
って恐る恐る聞いてみたら

「怒鳴ると内容よりも怒られた、
責められたの方が印象が強く残ってしまう。

それだと、今後も同じミスをしてしまうから、
怒るなら短時間で度合いだけ理解してもらって、
あとは冷静に説明すると次に繋がる。」
と返されて、
「この人に絶対に付いていこう」と思った。

仕事のことだけでなく、
雑談もたくさんしてくれた。
「ここでの生活は慣れた?」と聞いてくれて、
スーパーとかの店の情報を教えてくれたり、

「地元どこなん?」と聞かれて
「福井です〜」と返すと
「福岡やから近いな!」と返されたり。
いや、近くは無いです。(笑)

「パソコン作業に疲れたら
手先を使う作業すると良いよ」とか
仕事のアドバイスもたくさん頂いた。
時間が許す限り、色々教えてくれた。

別れは1年目の終わりに突然来る。
人事異動で恩師が地元の福岡に帰ることになった。

何ならば、結婚して子供が生まれてから、
地元の福岡に異動したいと
数年間希望を出していたようだ。

子供も幼稚園にギリ入る手前で
何とか間に合ったような感じだった。

真っ先に向かい
「お世話になりました」と告げた。
恩師からは「年1の集会で待ってるぞ」
とだけ返された。

それ以降、私が恩師に
仕事でアピールするためには、
年1の集会で発表するほどの
業績を残すしか無かった。

他の方からの後押しもあって、
運良く翌年の集会で発表したのだが、
当時はコロナ禍でリモートでの開催だったため、
直接会うことは出来なかった。

そこから部署を転々として、
私は大した業績を残すことは出来ず、
集会で発表することも出来なかった。

そして、この前の集会に恩師は現れなかった。
年度末は有給消化で出勤しないとのことだった。
結局「年1の集会で待ってるぞ」が
最後に交わした言葉であった。

今の私が立派な社会人とはとても言い難いが、
ベースをしっかり構築出来たのは
間違いなく恩師のおかげであった。

可能ならば、恩師に認められたかった。
5年目の上司の方が
一緒に仕事をすることは多かったが、
その方は正直どうでも良かった。
恩師に認められたらそれだけで良かった。

私は、2年目に後輩を持つようになって以降、
恩師のように優しさと厳しさを
しっかり持ち合わせて接するようにしている。

それは、後輩にとって私が、
恩師のような存在になりたいからだ。
大変おこがましいのではあるが。

お陰様で、異動や退職で離れることになった
後輩が、部署を離れる前に
私に感謝して去るようになった。
社交辞令と思っていたが、
私を見る目や声のトーンの限り、
建前とは到底思えなかった。

本当に頭が上がらない。
読んでいないと思いますが、
この場を借りて、感謝申し上げます。

そして、地元である福岡に行く際は、
この事を思い浮かべて、
街を歩きたいと思っています。

本当にお世話になりました。
また、どこかで。

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