4月1日(土)メディア日記 

 前号でTBS「報道特集」の出演者のコメントを紹介したことについて、テレビ朝日の「ニュースステーション」で久米宏と一緒にコメンテーターとして出演していた元朝日新聞の清水建宇(たてお)が自らのテレビ経験を語った。

 「出演者の発言記録――Nステに出演していたころ、慶応大学(記憶?)の社会学の教授が学生も動員して番組における久米さんの発言をすべて記録し、分析したことがあります。その結果は『政治的に偏ったり、問題となるような言葉はなかった』というものでした。ではなぜ自民党の政治家や右派から、あれほど嫌われたのか。私の意見は、久米さんは言葉ではなく、表情やボディ・ランゲージで雄弁に気持ちを伝える達人だから、というものです。2000年の初め、吉野川河口堰問題で歴史的な住民投票が行われ、Nステは特集を組んで当時の建設大臣をゲストに呼びました。この大臣(中山正輝のように記憶)が冒頭で住民をバカにする発言をしたとたん、久米さんは表情を変え、「後は清水さん、やって」といって、そっぽを向いてしまいました。久米さんの怒りは視聴者に強く印象付けられたはずですが、言葉としては何も記録されません。最近の報道番組は、言葉に頼りすぎるから足をすくわれるのではないか。テレビの映像が持つ力を、久米さんのように生かす人が出てきてほしいと思います」

1日放送のTBS「報道特集」は、敗戦後の1946年に中国大陸から引き揚げる日本人の姿を描いた油絵「一九四六」展示会の模様を特集で放送した。絵画は、中国人画家、王希奇(ワンシーチー)(61)が手掛けた縦3メートル、横20メートルの大作。

「満州国」は日本の敗戦とともに崩壊した。取り残されていた日本人はどこの保護下にも置かれず飢えと寒さと疫病で犠牲者が続出した。引揚事業は1946年5月から始まる。厳しい冬を乗り越えた人々の帰還の模様が描かれている。ボロをまとい、子どもを背負い、風呂敷を抱え、日本に向かう人々が実にリアルで悲しい。

絵を描いた王希奇は、母親の骨箱を抱えた子どもらの写真をネット上で偶然見つけ、それが制作のきっかけとなったという。これまで、東京、仙台、京都・舞鶴など各地で展示され、今回は3月21日から長野県下伊那郡阿智村の満蒙開拓平和祈念館で展示された。中国人が描いた「一九四六」。作品が訴える国や時代を越えたヒューマニズムは、人々の心を動かしてくれた。

中国大陸からの引揚を経験している年代は、70年歳後半から80、90歳以上の人たちだ。戦争の悲劇を今の人に覚醒させる好企画だった。

王希奇が描いた引揚者の一断面

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