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【社長対談】セルソース株式会社 山川雅之氏×株式会社メディアエイド 九島遼大 (第 1 回 / 全 3 回)





ー起業とは、自分の人生を生きることー


1. 怖い物知らずで飛び込んだ新しい世界

ビジネス・人生の大先輩と語り、さらなるビジネスの成長とビジョンのヒントを探るシリーズ対談がスタート。弊社代表の九島遼大が起業家と親交を深め、語り合います。初回のゲストは、セルソース株式会社の取締役会長 山川雅之さん。THE CLINIC やセルソース株式会社などを創業し、セルソース株式会社を創業後 4 年で上場に導いた起業への原動力。 ビジネスをどのように築きあげてきたのかについて、ふたりの会話が広がっていきました。

2. 先駆者がいない新しい分野に飛び込む

(対談中敬称略)
九島:このたびはお会いできてとても光栄です。お忙しいなか対談の機会をいただきありがとうございます。山川さんは、医療から美容外科業界、いくつかの起業を経て、現在の活躍へと場を移されていますね。まずは経緯からお聞かせいただけますか?

山川:僕は鳥取県生まれで、鳥取大学の医学部に進学して医者になりました。最初は内科医院、 循環器内科に入局し、その道を目指していたのですが、実際に入った保健診療の業界で疑問を感じたんです。このままだと将来、立ち行かないなと。大学時代は、自由診療や美容外科という世界を正直知らなかったのですが、医者になってからいろいろと調べてみると、若くして評価されたければ新しい分野に可能性があると思った。それで、研修医を終えてから、割と早い時期に美容外科に転向したんですよね。

九島:早い時期からそのような発想で動かれていたんですね。

山川:将来のことを考えた時に、この世界で努力してもなかなか認められないなと思ったので。 TikTok などの新しいツールが出てくるタイミングは、若者が成功するチャンスですよね。同じように、当時、美容外科が注目され始めた時期で、その数年後に再生医療という新しい分野が出てきた。当時は先駆者がいなかったので、頑張れば伸びる分野。そこに参入していったわけです。

九島:僕も TikTok がまだあまり認知されていないコンテンツだった時代に、幼馴染が投稿している動画がバズっているのを拝見し、この業界に参入しました。ですから、その気持ちが分かるのですが、先駆者になることは、山川さんにとってどういう感覚なのですか?

山川:好奇心ですよね。当時は、若かったですし。開業する前にこれから経験することのすべて が分かっていたら、起業を躊躇したのかもしれないです。怖いもの知らずで(笑)。

九島:分かります!僕も山川さんと同じように、怖いとかあまり関係ありませんでした。始めた当初のことを今振り返ると、あまりにも怖いもの知らずで、ちょっとイタいなっていうのはあるんですけど(笑)。山川さんが美容外科の業界に飛び込んだ当時は、どれほどの美容外科があったのですか?

山川:2〜3 箇所の美容外科がチェーン化し始めた時代です。たまたま求人があったので見学に行ったところ、組織にはまだ 4 人ほどしかいませんでした。大学で美容外科を目指したいと 教授に相談をしたら「絶対にやめておけ」って。まだ美容外科にはすごく偏見があったんです。 とにかく 2 年間研修医をして、それでも気持ちが変わらなかったらもう一回相談してくれと言 われました。だから、2 年間は頑張って研修医をやったんですよ。救急医療とかね。今なら問題ですが、月に 2 日ほどしか休みがないし、寝ずに仕事をするような職場でした。それをやり遂げ、もう一度、美容外科のクリニックに行きたいと教授を説得して美容外科業界に入ったんです。


ー起業とは、自分の人生を生きることー

3. 起業など、新しいことを始める原動力は何だと思いますか?

山川:起業する人と起業しない人ではマインドが違いますよね。たぶん僕らはサラリーマンができないと思うんですよ。

九島:そうですね。きっとできないですね。

山川:何か与えられたものに対して取り組むほうが、自分に合っている人もいます。でも僕にとっては、自分でやりたいことを、自分でできるのが起業の一番の魅力。自分の人生を生きているといいますか。起業には、自分のやりたいことができる楽しさがあります。

九島:よく原動力って何ですか?と聞かれることがあるのですが、僕はあまりうまい言葉が思いつかなくて。「コンプレックスをバネに」なんて言葉をよく耳にしますが僕はそんな風に考えたことがないんですよ。ごく自然に動いているので、質問されても「何だろう?」って、僕にとって答えるのが難しい質問なんです。山川さんはどうですか?

山川:こうやったら、もうちょっと上手くいくんじゃないの?と思うことを自由に試したいなら 自分でつくろうという話だと思うんです。自分で起業して、証明するしかないなって。

九島:試したい一心ということですね。それはそうかもしれないですね。

山川:成功する人は「まずやってみる人」だと思うんですよ。動かずにいろいろと考えていたら、 最初の一歩が踏み出せなくなってしまう。9 割の人はまずやらないんです。1  割のやった人が、 例えば 10 人いたら、その中で成功する人が 1 人いるかもしれないという割合だと思います。 でも、そもそもやらない人が 9 割なので、やった瞬間に成功率が 10 倍上がりますよね。

九島:突き進む力、大事ですね。すごく共感します。


ー最初は全部自分でやってみるー

4. おふたりはビジネスをどのようにして学んでいかれたんですか?


山川:マーケティングや人事、チームビルディングも本当は必要ですが、医学部で習ったりしないですよね。法律や財務、M&A をする時には金融の知識は必要に迫られて勉強をしました。

九島:僕は最初、名刺の渡し方すら分かりませんでした。人事、法務、労務も分からなければ、 金融も分からない。まさにやりながらキャッチアップしなければいけないなと思っています。スタートアップの経営者に会いに行って、話すこともそのひとつですね。山川さんはどうしていかれたのですか?

山川:若い頃は、経営者に話を聞きに行ったりしました。いろいろな社長室に行って話を聞い て、事業計画を見せてもらったりしましたね。

九島:僕も採用活動のために、部長職の方はどのようなことを考えているのか、1 日どのように動いているのか、何を勉強してるのかを知りたいと思って他社の部長職の方に会いに行ってお話を伺っています。

山川:実践を伴う学びなので、勉強にも熱が入りますよね。自分で学んで理解して、その上で適任の専門家を迎えるのがいいと思います。いきなり丸投げにすると、本当にスキルがあるかど うか分からないですし。最初は全部自分で勉強してやってみることが必要だと思うんです。九島さんは若いから、アドバンテージがありますよ。「勉強させてください」って言うと絶対に教えてくれるだろうし、同時に営業にもなっていると思います。20 代は、バイタリティだけでいけるから、目の前にあることを選んだりしないで、全部やった方がいいと思うんです。頑張りも効くしね。

ーメディアチェンジを生かして事業を軌道にー

5. 山川さんは、インターネットが世の中に出始めた当初から、インターネットをマーケティン グに用いられたと伺いました。新たなメディアにいち早く目をつけた点で、九島さんとの共通点を感じたのですが、その頃のお話を伺えますか。

山川:僕が聖心美容外科クリニックを開設した 1993 年は、Windows 95 以前ですし、美容外科クリニックのマーケティングは雑誌で行われていました。雑誌の後半ページの広告費が 1 ページ  250 万円という時代に、大手は毎週 8ページぐらいの広告を出すんです。その中でどうやって生き残るかを考えないといけませんでした。当時クリニックにいたある先生が「ホームペ ージをつくりたい」と言うので、つくってもらっていたら、つくりかけのホームページを残して辞めてしまったんです。どうしたものか、と人に相談したら、「本を読んで勉強すれば自分でできるんじゃないですか」って。たしかにそうかもしれないと思い、HTML の本を買って勉強して、 ちょっと絵も描いて自分で運営し始めたんですよ。

九島:すごい行動力ですね。

山川:「ドクターが 24 時間以内に答えます」といったメール相談窓口もつくりました。でも初めてメールが来るまで 2 カ月かかりました。メールが来たのは二重まぶたにしたいという相談でした。6〜7 回くらいメールのやりとりをして相談に応えていたら、本当にその方が来院してくださったんです。
すでにうちで施術すると決めていらして、相談もすべてメールで終わってい たので、「これは、すごいことになるな」と思ったんです。これまでは、雑誌広告を出して、電話がかかってきて、クリニックに来てカウンセリングをしていたことが、インターネットを通して相 談のやり取りから成約までができる。ビジネスモデルが大きく変化すると思いました。そこで、ホームページに力を入れたんです。大手が雑誌広告やテレビ CM でマーケティングをしているなか、インターネットは独壇場。そこで東京に進出して全国展開をしたんです。ツールが変わった時にうまく対応できたことが大きかったですね。

九島:僕もこの 4 年くらいで、Web から SNS へのメディアチェンジという形で全く同じことを経験しました。新しいメディアに気づいていない人がほとんどの中で、そこに気がついて、気づいたら後は走るっていう、そういう感覚ですよね。

山川:そこですよね。最初は全部、試行錯誤しながら自分でやってみることだと思うんですよ。 当時、ネットを使っている事業者なんてごく稀でした。そこから 1999 年、2000 年頃にドット コムバブルがやってきたんです。まだ Google もない時代。ネットの重要性に気づいた人の事業が一気に伸びたのではないでしょうか。歴史的に見て、SNS や AI などツールが変わる時にビジネスチャンスが生まれているんです。

九島:ツールの転換期だからこそ、いろいろやってみることが大事ですよね。

山川:全部がうまくいくわけじゃないんでね。

九島:確かに、僕もいろいろやってみたんです。他のビジネスはないかなと、塾や訪問販売などを試したこともあります。その中で TikTok が伸びて、たまたまビジネスになった。狙っていたわけでもなくて。それしか当たらなかったっていうことです。でも、いろいろ自分自身で動いて、 やってみたからこそ、伸びるビジネスを見つけることができたのかもしれません。

山川:勝手に上手くいく時期があるんですよ。伸びないところで一生懸命にやっても全然伸びない。ここなら伸ばせるという自分のポジションを見つけるには、いろいろとやってみないと分からないですね。

九島:でも、山川さんはいくつもの事業を当てているのがすごいですよね。

山川:朝令暮改でやめたこともいっぱいありますけどね(笑)。

九島:そうなんですね(笑)。
興味深い話をたくさんありがとうございました。第 1 回目はここまでとなります。次回もよろしくお願いします。

〜九島遼大 対談 第 2 回に続く〜


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