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死にたくなるような日々とこれから

「双子っていいよね」
「楽しそう」 「羨ましい」

何回も言われてきた。

嫌いなわけじゃない。ちゃんと大切な存在。
でも、この繋がりは自分のことを嫌いになるのには十分すぎた。

同じ日に生まれて、同じように名前を貰った。
でも 必要とされてたのは私じゃなかった。
名前を呼ばれるのは私じゃなかった。

たったそれだけの事実がどうしようもなく苦しくて、受け入れ難いものだった。

幼いながらにも、どこかそれにちゃんと気づいてはいた。
それでも、ただ こっちを見て欲しくて、褒めて欲しかった。

でもその気持ちに反して、親から貰えたものはなかった。
意味も分からないままに続く暴言や暴力に為すすべもなく耐えるしかなかった。

あの子とは何が違うのか
なんで自分だけ嫌われているのか
この痛みにどんな意味があるのか

全部 全部 理解できなくて、ただただしんどくて、毎日息が詰まりそうだった。

気づいたら人の顔色を窺うことが癖になっていた気がする。
だから自然と相手の考えとか、言って欲しいことが何となく予想がつくようになった。
でも これは自分で望んだ力じゃない。

良くも悪くも常に誰かのことが頭の中にある。
それが誰かの助けになったこともあったかもしれない。
でも ふとした時にしんどくなってしまう原因のひとつなんだとも思う。

自分のことですら把握できていないのに、それ以上に他人のことばかり頭にあるのがすごい息苦しくてしかたなかった。

ずっと 生きてる意味がわからなくて、自分が本当に生きてていいのか自信がなかった。

「お前はいらんかった」
「2人もいらなかった」
「勝手に死ね」

そんなことを言われ続けてたから、自分の命に対してすごく無関心なんだと思う。

怒鳴られる度にその理由探しをして、でも答えが見つからなくてひたすら暗闇の中を歩いてる感じ。

”自分が悪い”って思ってないと全て崩れてしまいそうで、謝るのが当たり前になっていた。
冷静になって考えたらそれほど悪くないことでも、「ごめん」の一言が口をついて出てきてしまう。

でもある時、友だちに、
「そうやって直ぐに謝るのうざいしイライラする」って言われたんだよね。
すごい納得したし、ちゃんと考えないと逆に誰かを傷つけてしまうんだ。って改めて思った。

でも 簡単に抜けない悪癖に自分でもイライラしてしまう。
今もずっと抜けてくれない。


「謝らなくていい」 「悪いことしてない」
「生きてて欲しい」 「大好きだよ」

ちゃんと伝えてくれる人もいる。
でもそれを素直に受け止めることができない。
人の好意をそのまま受け取れなくて、「ありがとう」のたった5文字が出ない自分が嫌いで嫌いで。

毎日 何がしんどいのかも整理できないまま涙だけが止まらなくて、朝まで泣き明かすことも珍しくなかった。

でも そうやってまた朝を迎えても、また一日を始めないといけない。また今日も同じようなことを繰り返さないといけない。まだ生きてしまっている。
朝に希望なんてなくて、絶望しか見えなかった。

死にたい。もう許して欲しい。
気づいたら頭の片隅にこの言葉たちがいて、離れてくれない。
毎日死にたいって思いながら生きるのは多分簡単じゃない。


贅沢なんて望まない。
「おはよう」 「いってらっしゃい」
そんな言葉たちで一日を迎えて、
「おかえり」 「おやすみ」
ってまた次の日を迎える準備をしたかった。

普通ってなんなんだろうね。
こういう当たり前のことが当たり前じゃないことはわかってる。
そんなに簡単に手に入らないことも知ってる。
これだけの望みが贅沢なことだったのかな。

何度考えても分からないけど、もしそういう日常をくれる人がそばいるならその人たちのことを精一杯大切にしていきたいと思う。

今はまだこの暗いところから抜け出せないかもしれない。
でも少しでも光を見つけられたら、一緒に探してくれる人がいるなら、そのきっかけや出会いを大事にする。

生まれ育った環境は決していいものではなかったかもしれないけど、出会いには恵まれているんじゃないかと思う。

だから、今はその大切なものを愛せるようになりたい。

なかなかみんなの優しさを受け入れられなくてごめんね。
でも そばに居てくれる心強さを理解はしてる。
だから我儘かもしれないけどもう少し時間をください。
いつも助けてくれてありがとう。



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