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リハビリテーションとは?

〈序〉


リハビリテーションって無縁だろうって思う人も多いと思いますが、「ぽっくり」逝かないかぎり、長短はあれ、いずれリハビリテーションのお世話になることと思います。現に障害を持って生きている方もたくさんいらっしゃいますし、また、障がい者とは呼ばれませんが、生きづらいような障害を抱え、知らないうちに支援を受けている方もいらっしゃるでしょう。私は自ら障害を克服しようとする歩みと、周囲の人がその人を支援しようとする働きはリハビリテーションであると思っています。
 
今回、専門職として40年の関りから、一旦、リハビリテーションをまとめるにあたって、私の経験と持論を盛り込みながらお話しますので、高い確率で「ナンセンス」や「思考の跳躍」が現れると思います。誠に申し訳ございませんが、私も一人の当事者ですので、そこのところはご了承ください。また、編集上の都合により、数回に分けてアップさせていただきます。よろしくお願いいたします。

〈リハビリテーションの歴史〉


リハビリテーション(rehabilitation)の語源は、ラテン語のre「再び」+habilis「適した」、すなわち、言葉的には「再び適した状態になること」「本来あるべき状態への回復」などの意味を持ちます。

昔々、古代ギリシャの時代、医学の父と呼ばれたヒポクラテスは「運動が健康の維持や疾患の回復に有効である」と宣いました(その通りです(*^^*)。この時代にはすでに太陽や水、熱の力を使った物理療法があり、リハビリテーションの起源だと考えられています。
 
その後、歴史の中では「権利・名誉の復権」など様々な意味で使われるようになりました。キリスト教では、戒律を破ったキリスト教徒が罪を許されて、またキリスト教徒として認められることをリハビリテーションと呼んでいました。有名なものにジャンヌ・ダルクのリハビリテーション裁判、ガリレオ・ガリレイのリハビリテーションなどがあります。

*ジャンヌ・ダルクのリハビリテーション裁判
ジャンヌは15世紀のフランス大国の軍人かつ国民的ヒロインであり、イギリスとの百年戦争で英雄的活躍をするのですが、その後、イギリス軍の手に落ち、宗教裁判の結果、「異端の魔女である」と破門され、火あぶりの刑に処せられ、19歳の少女は名誉を失ったまま生涯を閉じました。ところが、その25年後、フランス王シャルル7世の最終的勝利とともに、再審が行われ、破門は取り消され、カトリック教会から聖人認定されました。この再審が「ジャンヌ・ダルクのリハビリテーション裁判」と呼ばれています。

*ガリレオ・ガリレイのリハビリテーション
17世紀、ガリレオは木星の4衛星、火星、金星等の観測から地動説を確信し、このことをまとめた「天文対話」を出版しました。しかし当時は地球が宇宙の中心であることが絶対的真実であったため、「地球が動いている」という考えはタブーでした。ガリレオは宗教裁判で罰せられ、自由を奪われた生活となり、5年後に目を傷め失明、最後まで解放されることなくこの世を去りました。弔辞を読むことも、碑を建てることも、家族の墓に葬られることも許されない哀れな最後でした。ガリレオがこの世を去ってから約350年後の1992年、ローマ法王ヨハネ・パウロ2世は、ガリレオの裁判に誤りがあったことを正式に認定しました。

生きているうちに復権させてあげたかったですね~(*´Д`)。今でもリハビリテーションの広義の意味は「復権」という意味で使われています。

リハビリテーションという言葉が、現在使用されている「障害者に対する機能回復、能力向上、社会復帰」という意味になったのは、障害者が多発した戦争を契機とし、第一次世界大戦のころからで、第二次世界大戦後に広く定着しました。つまり、リハビリテーションは皮肉にも、戦争を期に世界的に普及していったということですね~(._.)

現在のような医学的なリハビリテーションでの用語は第2次世界大戦以前には確立していませんでした。リハビリテーション医学という言葉は1950年代前半に現れて1960年代後半になって急速に広まっていきました。日本においてもリハビリテーションの歴史は高度経済成長期に突入した1960年頃から始まりました。1963年には初の養成校である国立療養所東京病院付属リハビリテーション学院が開校し、1966年には第1回の国家試験が執り行われました。

〈ところで現在でいうリハビリテーションとは?〉


では、現在の意味で用いられているリハビリテーションとはいかなるものでしょう。

WHO(世界保健機関)は、「能力低下の場合に機能的能力が可能な限り水準に達するように個人を訓練あるいは再訓練するため、医学的、社会的、職業的手段を併せかつ調整して用いること」と定義しています。

Wikipediaでは「身体的、精神的、社会的に最も適した生活水準の達成を可能とすることによって、各人が自らの人生を変革していくことを目指し、かつ時間を限定した過程である」と書かれています。

大阪医科大学のページでは、「単に訓練を指す言葉ではなく、障害を持った方が可能な限りもとの社会生活を取り戻すことを意味する。それは障害自体が軽減するように機能訓練を行う必要もありますが、それ以上に本人が生活の中で積極的に体を使うことが重要です。さらには体の不自由が残っていても安心して生活できるような社会を実現することが必要です。」と、かみ砕いた表現ですね(#^^#)

現在一般的に用いられているHaasの定義は、「リハビリテーションは、個人の生理的、解剖的あるいは生理的な機能障害、環境の制約、個人の希望および寿命と一致した身体的・心理的・社会的・職業的・余暇的および教育的可能性が最大に達するまで個人を手助けする過程である。患者と家族、関与するリハビリテーション・チームは、たとえ機能障害をもたらした病理学的過程が不可逆であっても、現実的な目標を設定して、残存障害(機能的制限)があっても最適な生活機能を獲得するための計画を、成し遂げるように協力する」というものです。
 
私の思うところでは・・・
「リハビリテーションは、まずもって障害を担った本人(当事者)が行うものであり、そして周囲の人々が支援するものと考えます。本人の障害を克服しようとする歩みと周囲の人たちの寄り添うような支援がリハビリテーションを現実にしていくことでしょう。リハビリテーションは当事者からの表現と支援者からの表現の両面から語らなければなりません。そしてあくまでも主役は当事者なのです。
 
加えて、障害というもののとらえ方が必要となります。
 
「障害」をコトバンクでは
 さまたげること。また、あることをするのに、さまたげとなるものや状況。
 個人的な原因や、社会的な環境により、心や身体上の機能が十分に働かず、活動に制限があること。
「障害競走」の略(これはさておき)。
 
では、障がい者とは何でしょう?
障害者基本法(定義)
第二条 この法律において「障害者」とは身体障害、知的障害又は精神障害があるため、計測的に日常生活又は社会生活に相当な制限(程度があるということですね)を受ける者をいう。
 
身体障害者福祉法(身体障害者)
第四条 この法律において、「身体障害者」とは別表に揚げる身体上の障害がある十八歳以上の者であって、都道府県知事から身体障碍者手帳の交付を受けたもの(障害の範囲があるということですね)をいう。
 
リハビリテーションの定義では、「障害を持った方」との表現はありますが、「障がい者に対して」という限定はありません。障害は連続しており、極論的には人は皆、障害を持ち合わせていると言えるでしょう。その人が障害を克服しようとする歩みと、周囲の人がその人を支援しようとする働き、そこにリハビリテーションがあると思います。
 
そして、障害がある限り、リハビリテーションは終わらないということです。私は難病のALS(筋萎縮性側索硬化症)やがん末期のリハビリテーションにも関わってきました。身体的には機能低下を余儀なくされる中、リハビリテーションは関わり続け、可能な限り人生の変容を目指していきます。幾度となく困難に阻まれることでしょうが、すべてが失われるものだけでなく、新たに見つけるものもきっとあると思っています。そしてリハビリテーションの終わりは、人生の終わりを意味していました。
 
現在は、地域リハビリテーションの理念を念頭にリハビリテーションを話したほうが現実的だと思います。なぜならば、障害を持ちながら地域で生活していくこと目指していますので。

地域リハビリテーションの定義(1991、日本リハ病院協会・地域リハ対策委員会)
「地域リハビリテーションとは、障害を持つ人々や老人が、住み慣れたところで、そこに住む人々とともに、一生安全に生き生きとした生活がおくれるよう、医療や保健福祉および生活にかかわるあらゆる人々が、リハビリテーションの立場から行う活動のすべてを言う。」
 
リハビリテーションの広さを感じていただけると思います。
 
to be continued

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