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【人は執着なしには生きていけない】自己肯定感は高いほうが良い?[ペアMTG らーめん×のこのこ]

本記事は「自己肯定感は高い方がいい?」というテーマに対して、ラーメンとのこのこがペアMTGを行い、それで得た発見や感想をまとめたものです。

ラーメン
都内初期研修医1年
「迷ったら行動してみる」を大事にしています。
人の笑顔が好きで、笑顔を写真に収めることにはまってます。
上京して1年が経とうとしており、広げまくった風呂敷をたたむ段階に来ているなと感じてます。

テーマ設定の背景や目的を先に読んでいただけるとより楽しめると思います。


抽象的な言葉は意外と皆適当に使っている

自己肯定感って結構ぼんやりした抽象的な言葉だなと思います。どんな人に使われているかというと、小学生から生産年齢層といった社会、多くの人間と関わる人。その中でも生きるのが辛い、孤独感といったマイナス感情を持っている人に人に向けたエール的な意味合いで使われているなと思います。
しかし、これは決して他人事ではなく、多かれ少なかれ孤独感を感じている人は想像以上に多いのではないかと思います。
「可愛くてごめん」がバズった理由も多くの人の心にある孤独感にあると思います。
今回、自己肯定感という言葉をbeingとdoingという観点から分けて考えてみました。自己肯定感を大枠で考えると、幸福感に繋がり、この2点を絡めながら話を勧めたいと思います。

能力に頼る幸福感・自己の存在に感謝する幸福感

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①doingの自己肯定感(他者との関わりの中で)
→自分の能力に依存
②beingの自己肯定感(自己完結)
→自分の存在の素晴らしさ、ありがたさに気づく
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①doingの自己肯定感

doingの自己肯定感は、自分のできることに対して周りから認めてもらいたい。周囲にすることが役に立っているという自信から来ると思いますし、それを当て力として生きています。例えば、勉強ができる、運動ができる、会社で仕事が認められている。家庭で料理を褒められる、子供を立派に育てている。この人に好かれることができている。愛されている。私はこの集団の中で必要とされているという感覚が心の拠り所となり、私達は生きていくことができます。逆に、この拠り所が全くなくなってしまったとき、生きる力が著しく低下します。心の拠り所は人それぞれですが、執着なしには生きていけないからです。

②beingの自己肯定感とはどのようなものでしょうか。

一言でいうと、めちゃくちゃ理想の状態です。
自己を徹底的に見つめ、メタ認知することで、自分の置かれている立場のありがたさに気づきパラダイムシフトを起こしていきます。
たとえば、日本に住んでいたら、生活保護によって最低限の保障はされていますし、500円だせばめちゃくちゃうまい牛丼が食べられます。月数千円くらい出せばアマプラやNetflixで娯楽も楽しみ放題です。
自分が生まれてから親はどれだけの苦労を私にそそいでくれたのでしょうか。そもそも人間の身体が動いてものを考えて、生きてることってめっちゃすごくね。みたいに、人間として生まれてきたことに本当に幸せを感じている理想の状態です。

自己肯定感は高いほうがいい!

僕の理想としては②のbeingの状態を目指して、自己と向き合っていきたいと思ってます。20代の僕は圧倒的にこれからできることが増えていきます。つまりdoingの幸福感を高めやすいと言えます。しかし、高齢になり、体の自由が効かなくなり、頭の回転も衰えてくると、頼りとしていた能力を手放さねばならなくなります。その時自分に残せるのは、beingの幸福感だと思います。
そもそもdoingの幸福しかないのであれば、社会的な弱者(ホームレスや重症心身障害)は幸福感を感じづらい、感じることができない事になってしまいます。beingの幸福、人間に生まれてよかったと思える状態を自身も目指していきたいと思いますし、どんな人でもそのような状態に到れるような世界になってほしいなと思います。


のこのこから記事への感想

ラーメンさんの結論とは逆の感想になってしまうかもしれません。
 私は以前、doingの自己肯定感を求めすぎて疲れてしまっていました。beingの概念を知ってからはとても生きやすくなりました。でも今回、ラーメンさんがdoingの自己肯定感を言語化してくれたのでまたもう少し挑戦してもいいなと思えました。確かに社会的弱者にはdoingが難しいかもしれませんが、本当に小さなことでも自分が何か世の中の役に立つと思えることができれば幸福感をより感じられると思いました。

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