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伊藤俊一(著)『荘園』を読んで、異常気象につて考える。

引き続き、伊藤俊一(著)『荘園』を読み続けています。
『荘園』とは何かというと、政治的な解説になりがちですが、具体的には土地のことです。そして主には食料を生産する田畑のことです。

ここ最近、毎年夏になると地球温暖化だとか、異常気象といった言葉を耳にします。
確かに昔に比べると、というか少し前に比べると、夏の暑さは異常だと感じます。

地球温暖化という言葉が今ほど頻繁に使われなかった頃、冷夏が日本を襲った記憶があります。今から約30年前の1993年のことです。
その頃私が住んでいた大阪でも、夏になっても雨の日が多く、晴れた日はほとんどなく気温も低い状態でした。今では考えられない夏でした。

当時、休日になると海水浴に行くことを楽しみしていたのですが、一度も海に行くことはありませんでした。
そして、冷夏は日本の農業にも大きく影響し、お米をタイなどの海外から輸入しなければならないという事態になり、平成の米騒動と言われました。

歴史を辿ると、日本という国はたびたび異常気象が発生していたという記録が残されています。
『荘園』を読んでいると、鎌倉時代にも、悲惨な異常気象があったことが書かれています。

1230年の6 月9日(新暦の7月27日)には、中部地方から関東地方にかけて雪が降り、信濃国(長野県)では大雪になったとのことです。これではお米は実はずもありません。
さらにその年の冬は異常な暖冬になり、今度は麦が実らず、翌年には食料不足のため、餓死者で溢れかえったのだそうです。
これが「寛喜の飢饉」です。
このときの異常気象の原因は、エルニーニョ現象だと言われています。

1258年にも「寛喜の飢饉」のときと同様の冷夏に見舞われ、餓死者が大量に発生します。このときの原因は、インドネシアのリンジャニ火山郡サマラス山の噴火によって、噴煙が太陽光線を遮ったのが原因と考えられています。

現在のように、お米が実らなかったからといって、海外から食料を大量に輸入するわけにはいきません。
人は飢餓で苦しみながら死んでいくしかないのです。
そして2度の大飢饉の後の1266年には、あの元寇の襲来を受けることになり、鎌倉幕府の弱体化につながりました。

考えるみると恐ろしいもので、温暖化も大変なことですが、いつまた鎌倉時代のような冷夏が襲ってくるかわかりません。
いやいや今の世の中、海外から麦を輸入してパンを食べれば死ぬことはない。そんな悠長なことを言っていられるのでしょうか。

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