見出し画像

【読了】高野秀行(著)『アジア新聞屋台村』|文章は誰の為に、何の為に書いているのか。

平安時代には、文章を書いたり読んだりしていたのは、一部の貴族たちだけでした。
現代では、ネットの中にしても紙の上にしても、文章で溢れかえっています。
その文章の1つ1つは、誰か「人」が書いたものです。
最近は、AIが生成している文章もあるようですが、その指示を出しているのは「人」です。
文章の向こうには「人」がいるのです。

文章の向こうにいる「人」の方から考えると、その文章は誰かに読んでもらうために書いているはずです。
そして文章を読んだ人に、何か変化を起こして欲しいと考えているはずです。

私が毎日noteに書いている文章は、誰に向けた文章で、読んだ人にどんな変化を起こして欲しいと考えているのでしょうか。
考えてみたのですが、私は、基本的には誰かのために書いているのではなく、あくまで自分のために文章を書いているのです。
と言っても、文章を書いて収入を得ているわけではありません。
有料記事にしたことはありませんし、Amazonのリンクを埋め込んではいますが、アフィリエイトで収益化しているわけでもありません。

そんなことを考えながら、高野秀行(著)『アジア新聞屋台村』を読了しました。
ただただ、面白い本だと思い中がら読み進めました。
しかし、あらゆるところで、考えさせられる場面があります。
日本人として、そしてアジア人として、この地球に、そしてこの時代に生まれてきた自分を見つめ直したくなるのです。

日本人は真面目だとよく言われますが、いい加減な日本人もたくさんいます。
日本人だからどんな人とかいう、国籍や人種、民族を主語にした言葉が、なくなればいいなと感じます。

私は、何のためにnoteに文章を書いているのか・・・。
この文章においては、はっきりと言えます。
高野秀行(著)『アジア新聞屋台村」のような素晴らしい書籍を、一人でも多くの人に読んで欲しいから書いているのです。

https://amzn.asia/d/hdBnT7e


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?