心理的安全性(7)ゴールはどこにある?
心理的安全性について整理をしてみましたが、そもそもの目的は、
「組織をひとつにまとめられる魅力的なビジョン」、「斬新なサービスのコンセプト」を生み出すには。。。というところにありました。
かつ、これらは経営に不可欠であるにもかかわらず、アウトプットが難しいと多くの皆さんの声を聴いて体感しています。
それを促進するのが「心理的安全性」であり、具体的な手法や自己と他者との違いを認識しあうことで、十分に発揮できるということもご案内しました。
では、心理的安全性は、参加しているメンバーがリラックスして、気持ちよく発想ができればそれでOKでしょうか?
私は、心理的安全性のゴールはそこではないと思っています。もちろん、前述のビジョンやコンセプト自体は生まれるかもしれませんが、元来、そういう場面においては、真剣な議論や意見のぶつかり合いがあるべきではと考えています。心理的安全性が担保されているからこそ、広く深く考えを整理できるのではと。厳しいやり取りを通じてこそ良いアウトプットが生まれるのではと。
本当に魅力的なビジョンや斬新なコンセプトは、例えば、現状の否定や将来の絵姿も必要になります。しかし実際には、「空気を読むなど」集団浅慮(グループシンク)的な状況が生まれることが少なくなく、不合理であったり危険な考えに落ち着き、元の木阿弥どころか、かえって状況を悪化させる危険性もあります。
組織にいると、どこかで「もうこれ以上、切り込むのはやめておこう」という心理が働きやすいのでしょう。これをクリアすることこそ、本当の心理的安全性なのではと感じています。
いうなれば、オンオフをしっかり分け、議論が終わったら「さっきは言いすぎたかもしれないけど、すごくいい話し合いができたよ。ありがとう!」といえる関係性でしょうか?
切り口が少し変わりますが、物事を考える上で「弁証法」という手法があります。
これは、一つの「命題(テーゼ)」に対して、「反対命題(アンチテーゼ)」との対立を通じ、より高度な「統合命題(ジンテーゼ)」を導き出すものです。
平たく言うと、全く異なる意見を通じて(それも解決させる)より次元の高いゴールを導こうとするもので、現場で今、最も求められているものです。
反対意見をも巻き込んだ上で、否定するのではなく、相互にとって良い結果を生み出すこと。今の世の中でとても必要と考えます。ハードルも高いです。混沌さが増している今こそ、心理的安全性をしっかりと担保した上で智恵を使って向き合いたいものですね。
残念ながら、この領域まで、企業などの現場で実践されることはなかなか稀ですが、そういうことが当たり前になるようにと「めだかの学校」では、皆さんとお話をしています。
皆さんの職場や現場では、「心理的安全性」はどのように展開されていますか?