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【自己紹介】

初めまして。美香です。

ずーっとどこかに記事を書こうと思いながら、
今年の最後のチャレンジとして
note始めることにしました‼︎

まず初めは自己紹介から

お付き合いどうぞ宜しくお願いします

基本情報

🔴住んでいるところ

 海と山に囲まれた大好きな神戸

🟠家族構成

 いまだ独身邁進中
 愛娘化している🐶マリンとの2人暮らし
 両親は九州、妹と姪は東京
 それぞれ頑張ってる

🟡誕生日

 伊東美咲さんと同じ♡

🟢星座

 双子座

🔵血液型

 えーって言われがちだけど結構気に入っている 
 B型

🟣好きなこと

 音楽(歌うこと、ダンス)
 学ぶこと

資格など勉強したこと

2013年からOLをしながら学んできたこと

🟥アロマテラピー関連

AEAJ
(内閣府認定 公益社団法人日本アロマ環境協会)
資格コンプリート

アロマセラピスト
アロマテラピーインストラクター
アロマテラピーアドバイザー
アロマブレンドデザイナー
アロマハンドセラピスト

MAA認定
(メディカルアロマアンチエイジング研究所)

メディカルアロマリンパセラピスト

yuica認定

日本産精油アドバイザー

アロマ心理学

🟧施術関連

学んできたこと

アロマフランス認定クレイテラピスト

ラストーンセラピー
カッサ
フェイシャル
リフレクソロジー
ハンドリフレクソロジー
ヘッドマッサージ
筋膜リリース
腸セラピー

🟨心理学

メンタルケア心理士
文部科学省後援こころ検定2級

🟩色彩関連

認定NPO法人色彩生涯教育協会

色彩心理セラピスト
カラーアナリスト
カラーコンシェルジュ
インストラクター

内閣府認定 色彩検定協会

色彩検定UC(色のユニバーサルデザイン)級

🟦占い関連

西洋占星術
タロット
手相

ストーリー

自分自身にコンプレックスだらけ。
自分らしさって何だろう、何のために生まれてきたんだろうって漠然とした悩みというか、思いがあった。

それは自分らしく生きれてない
やりたいことも分からない

なんとなく安全パイの生き方を選んでいた自分自身にダメ出しをして幸せを感じれていなかったから。

そんな私がやりたいことを見つけていくまでの物語

🔴幼少期

2歳違いの妹が生まれ、1歳から何でも1人で出来るように母から英才教育される。
甘え下手の根源にあるもの

幼稚園の頃、休み時間に同級生の男の子に絵本読んで〜と頼まれる姉的存在

なぜか1番に教室に入りたい妙な競争心(笑)
毎日ダッシュで教室に行くも1番になれたことはなかった、、、

🟠小学校時代

1年生の音楽会のオープニング
選ばれてしまい大役を仰せ使う、、、
この頃にはすでに人前に出るのは嫌
目立ちたくないが発動

なんで選ばれたの?とショックだったけれど
今思えばしっかり者に見えていたんだろうな

小学校時代から赤面症
可愛く言えば恥ずかしがり屋さん
コンプレックスだった〜
緊張して赤くなる、、、

引っ込み思案で学校では大人しいのに
家では言いたい放題 親にも反抗する
こんなんじゃ結婚できへんって父からよく言われていたが、いまだその通りで驚く🤣


テストでいい点数取っても母から一度も褒められたことない、なんせ褒められない子供時代
(誰かに認められたいと頑張る健気な私)

母に新6年生 5年生の冬から進学塾に放り込まれる、、、

そしてこの頃自分が歯を出して笑った顔を写真で見た時の衝撃
ブス、、、🤣

写真の時は笑顔を封印する
(学生時代の写真を見返すと全部笑ってない徹底ぶり)

🟡中学校時代

私の人生の中で1番ハードな生活を送っていた頃

影の運動部と言われる吹奏楽部の部活生活と
学校と進学塾

朝練のハードさ
夜遅い塾の帰りでクタクタ

ブラバンでは見学で毎日通い詰めた
人気のフルートパートをGET出来たのだけれど、
2年生の終わりからパートリーダー
部の幹部に選ばれてしまう

何かに選ばれるたびに『嬉しい』ではなくて
『嫌だ』という感情が勝つ

大正漢方胃腸薬が手放せなくなる、、、
みんなに練習メニューの指示を出しつつ、教室で胃が治るのを待つみたいなシーンは何度か。
帰りまーすみたいなことなんて出来ない
責任感の塊


人前に立つ、話すことは苦手なのだけれど
みんなの実力をあげること
その方法を考えてトライしていく、
教えることは好きだった

ハードな要因になってた部の顧問。
熱血の先生が厳しすぎて、今の時代だと何かと問題になってるアウトな方針。
それでも女子は誰1人辞めなかった根性座った学年 さすが巳年の女たち笑

ここを乗り越えられたら人生何でも乗り越えられる、そんなことを言われていたが、本当にその通りになった

フルートとの出会いは私の好きなことになったのだけれど、

女の子は勉強しなくていい
大学に行かなくていい
結婚するのが幸せだ

という父の小さい頃からの教えに、
将来の夢としてプロのフルート奏者になることは思い描けなかった。


もし音楽家になるなら
音大に行かないといけない、
ヨーロッパに留学しなきゃいけない、

そんなこと出来ないって思うリアリストで
両親を説得するほどの気持ちじゃない自分にダメ出しもしてた

引っ込み思案の人見知りは相変わらずで
コミュ力が乏しいのもコンプレックスに

とある部活の日
先輩から怒ってる?と言われたことあり
全くの無の感情だったのに、
黙ってたら怖いんやと気づき
そこから鬼笑うようになり、笑顔が染み付く

とにかく頑張った中学校時代

🟢高校、短大時代

高校は進学校で、2年か3年か忘れたけど朝学とかあったな

ここでも3年間吹奏楽部頑張る
先生から押さえつけられる方式ではなくて、自分たちで練習メニューからすべて考える方式に。

先生からの提案もありマーチングにも初めてチャレンジする世代。

パートリーダー
セクションリーダー
をやることになったけれど、そこは向いてないと思いながらも大好きな音楽のことと
仲間のおかげで頑張れた

悩ませる進路、、、
周りは大学に行く中、やりたいことがないのに
どこに行ったらいいか分からない。
本当は音楽の道に進めたら本望、でも自分で自分を諦めてた。お金もないしなと。

両親は大学に行かなくていい方針
大学に行くには説得しないといけないけれど、

将来の夢がない
やりたいことも分からない

専門学校でいいかと思うようになる

進学校で成績もまぁまぁ良い方だったので
『大学に行きません、専門学校に行きます』
と言うと、担任が慌てる

とりあえず先生の説得もあり
短大に行くことになった

短大では英語だったので
毎日家で翌日の予習をしなくちゃいけない笑
学生時代の中で受験とか関係なく、1番勉強したんじゃないかと思う

1年が終わりあっという間に就職先をどうするかという選択を迫られる、、、

人見知りの引っ込み思案
絶対接客業は向いてないし、アットホームな
小さい会社に入りたいと思っていた。

就職セミナーの一環で卒業生が講演に来てくれた時に、大手の会社に入られてて、すごく良い会社って話していた
怖がりでもあったので、良いよーの言葉にこの会社名が私の頭の中にインプットされた

その後、学校の求人募集の掲示板でインプットした会社を推薦枠で見つけた

募集定員 2名

学校推薦は完全なる成績順で選ばれる
私より上はみんな大学に編入することが分かっていたから、たぶん推薦枠はとれるという確信があった。

7名希望者がいて、晴れて2名枠勝ち取れた。
初めて勉強してきて良かったと思えた、
自分で自分を褒める笑

これで就職は安泰かと思いきや
会社は4名しか内定とらないのに、15人いろんな短大から来てた。
嘘でしょ、、、

面接では正直に答えすぎて失敗したかな?と思っていたんだけれど、運良く4名に選ばれて就職できた。

それは卒業生の実績と、私が吹奏楽部出身というのは大きかったかもしれない。
後から知って、私の単なる想像かもしれないけれど、社会人野球の応援、吹奏楽部に力を入れたいと思っていたタイミングらしかった。

ここでも6年間吹奏楽部頑張ってきて良かったと思えた瞬間。

頑張った先に、、後になって花開く
うーん実感

🔵社会人時代(前半)


会社員になってみて、事務職がすこぶる得意なことに気がつく。

ただ、甘え下手だし大人との関係の築き方が分からずいつものように自分の前に高く分厚い壁を作る。
私も明るく社交的になりたい
そんな願望はいつの時代にも根底にあるのに、、

そして当時の彼氏と結婚の話もあり
25歳までに結婚する夢が叶いそう笑、と
若いママが憧れだったから、初めて夢の実現に向けて頑張る

なのにフラれて破局してしまう

彼からは私は悪くない
他にもっとええ男がおると言われたけど
きっと他に好きな人でも出来たんだろう

人生初めての挫折かもしれない
挫折しないようにうっすら生きてきたのに、
ちゃんと傷つき、底に落ちたことで
這いあがろうとする

もともとコンプレックスだらけなので、
一気に変わりたい願望が出て
自分磨きが始まる 本も読み漁り
占いもいくし習い事もしまくる

今となっては変わるきっかけをくれたことに本当に感謝♡


仕事も3、4年くらい立つと
『やりがいがない』
辞めたいと思うようになる

当時、暇で時間を持て余していたから・・・
暇というのは私にとって楽とはならないんだなってことが分かった

ネイリストとかどうやろ?って占い師さんに相談したら、あなた今の会社でめっちゃ評価されてるから辞めない方がいいよと言われ
悩んでるうちにめちゃくちゃ忙しくなり
辞めたいと思っていたことすら忘れる

28歳 両親が鹿児島に帰ることになり、一人暮らしをしなくちゃいけなくなる。
親が近くにいないのは寂しいけれど、親の監視が外れたことで、この辺りからわたしの本当の人生が始まる!!

学生時代の私からは考えられないサンバダンサー
これもいきなりここじゃなくて
強制的なチアガール→ジャズダンスからの流れ

仕事に趣味に、お友達に充実した生活だったのだけれど、2011年4月の異動がきっかけで
わたしの人生がまた変化し始める

🟣社会人時代(後半)

人事異動で、あらゆる人と関わるところに行ってしまった。
コミュ力も乏しく人見知りなのに、
全部の仕事が課題。

だけど、性格上、放棄することは出来ないし、甘えられないし、必死にこなすという感じ。

今から10年前はまだまだ団塊の世代が現役バリにいて、なかなかキツイ仕事環境。
一緒に働く仲間より、自分が相手をしなくちゃいけない人たちに。

今となってはこの苦しい異動のおかげで
超絶、たくましくなった!

いい人でいたらダメだと
自分の中にあった厳しいところもうまく出せるようになってくる。
自分の部署の人達を守るためにという感じ。

ただ、最初の1年は本当に精神的にキツくて
だけど、気力はあるもんだから頑張りすぎてしまって、1年の最後2012年3月に体にでてしまい
突然の腹痛で救急車で運ばれた、、、

急性腹膜炎

最初運ばれた時は盲腸か?の声に安堵
翌日検査したら腸は綺麗
白血球の数値が異常で菌にやられてる!となり
抗生物質で菌を殺す

お腹も切らずに10日間の入院ですんだ

原因はストレス

その後、とある原因になってた人が異動になり
私の心も落ち着いてきたものの、
自分の存在を否定されるような恋愛関係を経験することで

これじゃいかん!!

と思い何か新しいことを始めたいと思うようになる。そのことを考えたくないという感じで。

その時に考えたのは

アロマテラピー
インテリアコーディネーター
カラーコーディネーター

何か自分の好きなことを学びたいって思って。
アロマテラピーに関してはアロマが好きなのではなく、香りが好きで、当時は香水とか。
バラの香りで自分の気持ちがあがるなーって思ってたから。

精油はいつもお友達とショップを通るたびに私は
『くさいくさい』と言ってたくらい。
それくらい私の鼻は化学香料にまみれてたんだろう。
お友達は良い香りと感じるのにね、、

2012年9月ごろだったと思う。
生活の木に行ってみて、店員さんにアロマテラピー検定の話を聞く。

11月に検定があったのだけれど、2ヶ月しかない。
たぶん大丈夫ですよと言われたのをきっかけに
3つのうちどれかで考えてたうちのアロマテラピーに決めて
独学でアロマテラピー検定に臨む。

無事1級合格して、AEAJの会員になり
アロマテラピーアドバイザーの講習を受け
アロマテラピーアドバイザーの資格をとる。

AEAJの最上位資格にアロマセラピストがあり、それまで東洋医学が好きで身体をメンテナンスすることは健康につながるってことを体感して知っていたので、

え?もしかして勉強したらアロマセラピストになれる?と
考えたこともなかった人を癒すことへの
夢が膨らむ‼︎

これまでの人生での趣味は自分の娯楽でしかなかったけれど、自分のすることが誰か人のためになるかもしれないと思うと
このままアロマセラピストの資格をとりたいと思い始めるようになる。

勉強することにお金をかける意識がなかったのだけれど、実技があるこの資格は絶対独学では取れない、、、
2012年の年末にアロマスクールの説明会で話を聞き、2013年から学ぶことになる。

終わりに

ここからの学びの話はまた別の記事でご紹介していきます!
ここからの学びの10年が私を成長させてくれました。

彼氏との破局
両親の引っ越し
人事異動

全てダメージとなったことが、私の成長の前触れでした

人は死ぬ瞬間まで成長できる生き物
自分自身が豊かに生きれますように

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