カモン!アイライナー女子

池袋まで10分の東武東上線・女性専用車両。栗色の髪をなびかせてフワリと女性専用車に乗り込んできた彼女は、よく手入れされているトイプードルとかミニチュアダックスフンドといった小型犬を思わせた。淡いクリーム色を基調とした花柄のプリーツワンピースの裾が、小柄な彼女を柔らかく包む。
『キャンディキャンディ』に出てきても不思議ではないゆるふわなオーラを纏って。

たぶん、とても可愛い。肌も透き通るような白さだ。大学でキャンパスにいたら、男の子たちがザワつくだろう。

たぶん、きっと...。
私は心の中で彼女に問いかけずにはいられない。

...顔、どした?

塗り絵に例えると、他のパーツを完璧に塗っている中、顔だけ塗り忘れているというような違和感。

...すっぴんである。

朝起きたまま家を出たのではないかと思われるほど、彼女の顔は薄い。そこだけ、鉛筆で描いたかと思われるほど。

彼女を見る。眉毛が違和感しかない。その極端に細い眉を眺めながら私は思い出している。あれは、はるか20年くらい前だっただろうか。みんながルーズソックスを履いて、女子高生が日焼けサロンに行って、こぞってアムロちゃんの真似してたとき。

あの時は、そうね、みんな細まゆを目指していた、確かに。中学生だった私たちは最強アイテムの「毛抜き」を片手に、常に生え続ける毛の若くて力強い生命力と戦っていた。そんな青い記憶が蘇る。

細くつり上がった眉毛を見ながら私はさらに狩野英孝までも思い出している。ラーメンつけめんボクイケメン..。

と、次の瞬間、彼女はあまりにも滑らかな手つきでバッグからシャネルのコンパクトを取り出しパフパフと顔を埋め出した。

まさか今から顔を創ろうというのか。
終点までは残り9分もないというのに。

右に左に上に下に、タテヨコとぐりぐりを繰り返し、みるみる間に彼女の毛穴は埋まった。すごいスピードだ。まだ1駅も経っていない。

圧巻である。あっという間につるっとした日本人形が完成した。
しかしあなどってはいけない。
こんなことは彼女にとっては序の口だったのだ。

終点の池袋まであと7分。
ここから彼女の本領発揮なのだ。

次に彼女が取り掛かったのは目元だ。
目元はとても重要だ。男諸君がイチコロになるかもしれない希望の要だ。あるいは女子たちのナワバリ争いの威嚇のための。

彼女が取り出したのは、アイライナーの...

リキッドタイプ!

せめる。せめる。彼女は攻めてきた。
リキッドとは、難易度が高い。リキッドってなに?という皆さんのために補足すると、リキッドタイプは、いわば目を強調縁取りするための筆ペンである。

手強いアイテムだ。少しの手元の狂いも許されない。
ぜひ想像してみて欲しい。揺れる車内で、ミリ単位の線をあなたは正確に引けるだろうか?

しかしそこは彼女。なめてはいけない。
こちらが安心感をおぼえるほどのしっかりとした見事な手つきで彼女の目はみるみるシャープな弧を描く。幾重にも線を引いたのに、とても自然だ。いきなり現れたクリクリの眼(まなこ)に技術の高さが伺い知れる。

アイシャドウとマスカラも同じようにすんばらスィー手つきで仕上げた彼女は、満足して、瞬きを二度、した。

電車は滑らかに車体を運んでゆく。
終点まで残り5分。

残るは眉毛だけだ。
狩野英孝が彼女の顔面上部でまだ叫んでいる。ラーメンつけめん..

私が映画プロデューサーなら、今ここでクライマックスのサウンドを流すだろう。ミッション・インポッシブルのピンチなときみたいなやつ。ついでにCMも入れる。

そんなことを考えて彼女を見つめる。
ホント失礼だと思いながら、ここまできたらもう目が離せない。というより、最後まで見届けなければかえって失礼では無いか。

妙な使命感にかられた私の熱い視線にはまるで気づかず、彼女はアイブローを重ねる。物凄い集中力としか言いようがない。

眉毛が完成した。
おお、優しい。あまりにも優しい。なんて優しいんだ。私は彼女の聖母のような優しい眉毛に見惚れる。
眉毛から人柄さえも伺えるようだ。

眉毛を創り上げた彼女は、いきなり慈悲深い観音様に変身した。さよなら狩野英孝。
私は眉毛というパーツの威力と破壊力を思い知らさせる。

突如彼女は厳しい眼差しで鏡をじっと見た。
検品、といったところか。

正面のみならず、右斜め30℃と左斜め30℃の角度からそれぞれ上下も確認する。

電車は止まらない。
勢いよく中板橋を通過している。

彼女は微かに頷いた。

ついに完成なのか!

私は少し興奮を覚えている。
まるでフレンチのシェフの見事なフランベ(鍋に火をつけるあれです)を見た、お客のように感動と清々しさと満足を感じる。

電車の動きが緩慢になる。
あと1駅で池袋というところまで来た。
時間配分も完璧だ。
さすが彼女だ、と思う。

しかし、彼女の辞書に妥協という文字は無い。
仕上げた作品を凝視していた彼女がおもむろに銀色にひかるアイテムを取り出した。

あれは!!

...毛抜きっ!!!

間に合うのか!時間がないぞ!
電車の動きが緩慢になる。北池袋の街並みが見える。
そう、もう終点はすぐそこだ。

私の衝撃をよそに彼女は眉毛の先頭を鮮やかに抜き始めた。

一本...二本...

固唾を飲んで見守る。
電車は池袋ホームに滑り込み始めている。

三本...四本...

彼女はパッと鏡で目標部位を確認すると、
ほんの少し口角をあげて満足そうに微笑んだ。

正直その眉は私には1mmも変わらないように見えた。
しかし細部へのこだわりは、いつの世も、素人にはわからないのだろう。プロの世界はプロにしかわからない。

か..完成や。完成したで!
心の中で思わず関西弁が飛び出す。

無機質なチャイム音が鳴り、ホームドアが開いた。
彼女は化粧セットを秒で仕舞い込むと、何事も無かったかのように電車を降りた。

思えば彼女と過ごした成増からの10分間。
この間、彼女には一秒たりとも無駄な時間が存在しなかった。NHKも驚きのタイムスケジュール。

あんさん職人や。
立派な職人や。

脱帽である。

彼女はそのまま西口へと向かう。
まさかとは思うがR大ではあるまいか。

もしそうなら...

私は十数年の後輩かもしれない彼女の背中を見送る。

そしてどこか誇らしい気持ちにすらなっている。
職人の国ニッポンは、ここに、健在である。

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