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ぴろみん社長のひとりごと「わからないという尊さ」

「君たちはどう生きるか」を観てきた!

原作を見ていたから、あれがどう表現されるんだろうか?と「勝手に」思っていた。

ネット上でいろいろ言われているのはチラッと見てたけど、なるべく見ないようにしていた。

自分の感性そのままで観たいから。

観てみたところ、全然よくわからなかった!
私が思っていた哲学的なものとは全く違った。

「えっ?そうくる?」みたいな。

これはいったいなんなんだろう。
これはいったい何を言いたいんだろう。

あれはいったいなんだったんだろう。
あれはいったい何を言いたかったんだろう。

宮崎駿はいったい何者なんだろう。
どんな背景をもつんだろう。
(そういえば全然知らない)

自分の中で漠然とし過ぎていて答えが出なかった。
これと言った答えを出せなくて悶々とさせられた。

終わったあと「よくわからなかった!」という感想を出したところ、みんなからいくつかヒントをもらって、ちょっとだけ背景がわかった。

答えがわかったわけじゃない。
答えをもらったわけじゃない。
考えるヒントをもらえた。

こうして書きながら思うのは、

わかりやすいメッセージは大事。
でもわかりにくいメッセージこそ真の価値がある。

わからないというのはデカいからだ!
自分が小さいからだ。

もっと苦しめ!
もっと悶々としろ!
世界をもっと深く広く広げろ!

と宮崎駿からのメッセージをもらった気がする。

わかりやすいメッセージは親切である。
わかりにくいメッセージというのは不親切である。

だからこそ

自分で考えるしかない。
死ぬほど考えるしかない。
答えは自分の中から捻り出すしかない。
正解はない。自分の中にしかない。

もっと苦しめ!
もっと悶々としろ!
もっと世界を広げろ!
まだまだいける!

これは宮崎駿からの愛だなーと感じた。
厳しい愛。男の愛。父の愛。自立をさせる愛。

「私たちはどう生きるか」という問いに対して

私はもっと苦しみ、もっと悶々とさせていただきます!

私という人間をもっと激しく生きるために。
私という人間の世界をもっと深くもっと広く広げるために。

この命が燃えているうちに。

「君たちはどう生きるか」また観に行こう。


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