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「読みやすい」と言う感想について

(※この記事はすべて与太話です)
※ちょっと手直ししました。

先日、Twitterのタイムラインにこんな話題が回ってきました。

「読みやすい」と言う感想は嫌がられることがある(失礼だと思われることがある)。

該当ツイートを晒す目的はないのでちょっと表現を変えていますが、概ねこういう内容のツイートでした。

ちょっと他人事じゃないので今日はこの話をします。

「読みやすい」と言う感想についてどう思うか

その時の私の反応と言うと、

「え~失礼なのwwwだったら私ずっと失礼なこと言われ続けてるんですけどwww」でした。
そう、「他人事じゃない」と言うのは、私が一番多くもらう感想が「読みやすい」だからなんです。

ずっと言われてたと言うことはずっと言わせてたと言うことなので、私自身は別に嫌じゃないし嬉しいので、私はこの感想については肯定派なんですが、この記事を「読みやすい」と言う感想が嫌だと主張する人を殴るのに使うのはおやめください。私はその感性を否定する立場にありません。

話が逸れましたが、私は「読みやすい」と言う感想は大歓迎です。むしろ嬉しい。その理由についてちょっと考えたので述べていきます。

少なくとも読み辛さで敬遠されない

もっとも大きな理由はこれです。「うわ何だこいつ超読みにくいじゃんやめやめ」って途中でリタイアされにくいかなって言うのが大きな理由です。

要するに「ちょっと読んでみませんか!」ってページメーカーで作った画像を貼ったツイートが読まれるかもしれない、という希望に繋がるからですよね。

小説の内容だけでなく、パッケージというか、ちょっと手を出した時にどう思われるかと言うのがわかるので、こういう感想はありがたい時もあります。ていうかこれもう十五年くらい言われてるから、読みやすさは変わってないのか。それはそれで私すごくない?(エクストリーム自画自賛)

「つまんなかったけど読みやすかったです」「つまんない上に読みづらかったです」ってどっちが嫌? どっちも嫌に決まってんだろ

読みやすさを意識して書いているから

自分が意識したところがちゃんと読み手に受け取ってもらえているから、と言うことですね。

私の場合は、「頭の中で読み上げた時に冗長になっていないか」を意識しています。
最初は「自分が読みにくいのは嫌だ」と言う理由でやっていたのですが、やっぱりここを見てもらえるのは嬉しい。
今でもどちらかと言うと戦略というか習慣でやっています。
ちなみに、読んで育ったのが赤川次郎先生の作品なので文体についてはかなり影響されていると思います。あの読み心地へ無意識に寄せてるのかな。

なので、私に関して言えば、「読みやすい」という感想は、
・文章をぼんと出せば読んでもらえるのではないかというごり押しポイントにできる。
・メインのセールスポイントではないが多少意識しているところを見てもらえた。
と言う二点においてありがたい、嬉しいということになります。

ごり押しするな。

さて、では次に敬遠されるポイントについて考えてみます。

というか、概ね嬉しいんだけど私にも思うところがないわけではない

他に言うことはないのか?

ていうか、文章読んだんだったら中身についても言及してくれよ。

例えばスパイスの調合から作ったカレーを食べてもらったとして、

「このカレー、すごくのどごしが良いですね! カレーは飲み物ってこういうことか~」

って言われたらどうよ。

味は????

ってなりません?

多分そう言うことなんだろうなと思います。文章の中身はどうだったんだよ! おい!

うるせぇ! そこ、「つまんなかったんだろ」とか言うな!

「~し易い」だと安っぽく見える

「文章が美しい」だと、文芸として成り立っている様に見えますが、「文章が読みやすい」だとなんか「芸術性はない」って言われてるみたいに思うときがある

お前本当に肯定派かよって言う意見を出していますが、たまーに気分が下がり気味の時に言われると「私が書いている小説は文芸なのか」という悩みに小一時間取り憑かれます。小一時間で治ります。

小説って言うのは一つの芸術分野なので、芸術性を見て欲しいと思わないでもないのです。面倒臭いね! 芸術家って言うのは面倒臭いんだよ!(芸術家面してみる)

まあ例えばこれで「小説読むのが楽しくなりました」と言うエピソードの一つでもあればそう言う読書入門作家の地位を狙っていくんですけどね。
「小説書いてみたくなりました!」は言われたことあってこれは結構嬉しかった。

総括

と、言うことで、嬉しい面と引っかかってしまう面を二つずつ挙げてみました。あくまで私見です。他の人がどう思ってるかはわかりません。

まあ、大事なのは「相手がどう思うか」なので、「読みやすい」が嬉しいという人の作品を読みやすいと感じたらどんどん言ってあげれば良いし、「読みやすい」が嫌だという人には言わなきゃいい話だと思います。ていうか中身について言及してあげて(切実)。

大事なことなのでもう一度言いますが、私は「読みやすいは嬉しい派」です。ただ「読みやすいは嫌派」を否定する立場ではありません

書き手と読み手も普通に人間関係なので、普通に人間関係築くときのやり方が良いんじゃないでしょうか。

と、煙に巻くようなことを言ったところで今日はこの辺で。ごきげんよう。

これはとても真面目な話ですが生活費と実績になります。