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「どうして人を殺してはいけないのですか」

こう子どもに聞かれると、大半の大人は困ってしまって、
反射的に子どもを叱りつけてしまうのではなかろうか
つまり人を殺してはいけない理由を考えるということは
こいつは人を殺してはいけないという規範に同意していないのだな、と
そう感じて、「そんなことを聞いてはだめだ」とか言う人が多いと推察できる

というのも僕はそういうタイプの質問をしてしまう子どもだったからだ
昔はどうして怒られたのかすらもわからなかったが
今となっては、「そんなこと考えたことがないよ」とは立場上言えないので
怒ってメンツを保つといった感じなんだったと思う。

あれから10年以上経ち、僕は医学生になった。
そして表題の質問に答えられる人が少ないことによって
非常に多くの問題が先延ばしにされていることに気付くようになる。

高齢者医療、安楽死、AEDなど
根源的にはこの質問に答える必要があることばかりだ

論理的には「人はいついかなる時でも殺してはいけない」と答えるのが
単純だし非常に「倫理的」「ただしい」態度だからみんなそうする

この信念をしっかりと持つ人は死刑に反対するのが理に適う(法曹に多い)
しかし、実際には死刑を容認する人の方が圧倒的に多いのである。


つまり僕を怒った人も、「人はいついかなる時でも殺してはいけない」という確固たる信念を持っているわけではなく、死刑囚という例外が存在しているわけで、そのことについてはある程度の説明が必要だ。

「人は基本的には殺してはいけないが、たくさん人を殺した人に関しては例外的に殺していい」
こういう風な理解でもいいし、
「個人による殺人は犯罪だが、司法機関によって行われる、事前に決められた規定に基づく殺人は認められる」
こんな風に解釈することも出来る。

これ以上はもう眠いのでやめるが、「どうして人を殺してはいけないのか?」これは非常に有効な問いであることは伝わったと思うので
みなさんも考えてみて欲しい。せっかくなんで考えてくれたらTwitterのスペースで意見を言い合いたいな




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