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荷物と共に受け取ったもの

こんばんは。今日は家族関係の話です。

実家から荷物が届きました。お米が無くなりそうだったのでお願いしていたのですが、それだけじゃなくて、たくさんの食糧がついてきました。母お手製のお惣菜にレトルトのお魚、加工肉、チーズ、ヨーグルト、お野菜、りんご、パンに飲み物、カップスープとそれに入れて食べるショートパスタまで。もはやお米がおまけなんじゃないかと思えるレベルでした。

大量の荷物を解体してそれぞれの場所にしまいながら、ふっと「年末年始は帰ってくるなってことなのかな」と思いました。以前、最初の緊急事態宣言があった頃、帰省するのはおろか買い物行くのも大変だろうからと大量の支援物資を送ってきたみたいに。

お礼のラインを母親に送るときに、「帰ってくるなと言わんばかりの(?)お荷物届きました」と打ちました。実家と故郷の味をたくさん送ってもらって嬉しいのに純粋に喜べていない自分が嫌だなと思いながら。

そうしたら、違いました。どうやら、大量に食料を送れば、買い物や料理の手間が減るから卒論執筆などの作業効率も上がり、年末年始に帰って来れるんじゃないかという意図だったようです。母の気遣いはすごいです。素直に取れずネガティブに深読みした自分が恥ずかしくなりました。

母はきっと、私が時々元気なふりをしていることも、家事があまりできない時があるのも、なかなか卒論が進まず焦っていることも、全部お見通しなのでしょう。通院していることは毎週電話するので伝えてありますが、そこで買い物と料理(栄養摂取に必要な家事の類)の負担を減らそうと考えるのが、さすがです。甘やかしすぎなのではと思ってしまう自分もいますが、それは皮肉っぽい見方なのでしょう。

大学4年にもなって、まだこんなにも実家に甘えてしまう自分がなんとなく苦しくて。一応療養中で、実家に帰って治療する人も多い中一人暮らしを継続することを選択しているので、力を借りてもいいのかもしれませんが、自分はあまりにも家族をあてにしすぎなのではないかと思ってしまうのです。友人のご家族との関係に関する話を聞くたびに、居た堪れない気分になります。自分が厚遇されていることの罪悪感は、荷物が届いたり仕送りを記帳で確認したりするたびに澱のように溜まっていきます。

でもまあ今回の荷物のおかげで、それなりの期間食糧の調達をしなくても生きていけそうです。それにしばらくはお惣菜を温めて食べればいいから、ご飯を炊けばそれでOKになります。しっかり卒論を進めないといけませんね。そうやって気負ってしまうのも、母はお見通しだったりするんでしょうか。いつか、返せる時が来るのだろうか。

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