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読後の気だるさ

こんばんは。今日は読書の話です。

本を一気読みした後に感じる気だるさが好きです。特に、時間を忘れるほどに引き込まれた作品だと大変なことになるのですが、それも心地よいと思うのです。

初めて『蜜蜂と遠雷』を読んだとき。『精霊の守り人』の力強さに引っ張られたとき。『のぼうの城』や『三国志』でも。私にとっての読書は、分析しながら読むなんて器用なことはできず(それができる作品はおそらく私の場合冷めています)、いかにその世界に入るかだと思っています。登場人物に「なる」でもなく、作品の世界の中にただ「いる」、そして描かれている情景を見ているような感じ。ナルニアの衣装箪笥みたいなのはなく、物語の中に突き飛ばされると言っても良いかもしれません。だから、本の世界から浮かび上がるための時間は、水中から息を吸うために上がるのに似ています。ゆっくりと音が戻ってきて、ここが自分の部屋だったと我に返るんです。

今日は阿部智里の『追憶の烏』で久々にこの感覚を味わいました。どんどんきな臭くなっていって、映像化するとおぞましいとさえ思うような暗くて恐ろしい描写なのに、離してくれませんでした。それでいて背後に鋭利な刃物をあてがわれているような冷たい狂気がページをめくらせていて、早く終わらせてとも思っていました。そういう魔力です。

読み終わったあとにしばらく放心状態になって、それから本を読み始めて1時間以上経っていたことを理解する。何も考えられず、ただ読後の後味を噛みしめる。気だるさの中にそういう時間があります。

寝る前にこれをやるとしばらく寝付けないんですけどね。こうなっちゃうような本はたいてい中毒性が高いのでやめられません。

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