自分で心を傷つけないように
こんばんは。今日は物の見方のお話です。
私には、大学のサークルでリーダー的な立場を引き受け始めた頃からどんどん強まっている思考の特性があります。
それは、集団内で誰かがネガティブな反応を見せたり、誰かがミスをしたりしたときに、たとえそれが私にはどうしようもないことであったとしても「自分が原因なのではないか」と考えることです。全体を俯瞰して統括する役割を任せられているので、管理者の責任みたいなものを必要以上に感じてしまう習性があります。
私はこれを一種の自衛行為として捉えていました。先に自分のせいだと結論づけて自分を責めてしまえば、他の人から同じことを指摘された時に受けるショックが小さくなるからです。他者の怒りは刺激が強すぎるので、それなら先手を打とうという考え方ですね。それが楽でした。
で、疲れているときにこの自責行為を繰り返したり、ふと強い自己否定が起こったりすると、精神が崩壊します。涙が止まらなくなったり、食欲が無くなったり、集中力や体力が急激に落ちたり、あらゆるものを投げ出したくなったり。実は先日も強い自己否定を無意識のうちにしてしまい、壊れました。今は大丈夫です。
昨日たまたま友人とディスコミュニケーションの話になったときに、いわゆる非言語的な文脈の捉え方に論点がいきました。その人は他者の反応に違和感を抱いたら自分の行動を振り返るのでいいのではないか、と言っていました。
そのとき改めて考えたら、自分が悪者だという前提で人の反応を見る癖がついてしまっているようだと気づきました。客観的に見て関係ないところまで。そうやって余計なところでも自分に原因を求めて自分を責めてメンタルを消耗して、というのもある種の自傷行為なのではないか、それが習慣になってしまっているのではないか、と。
私は身体的な自傷行為をしたことがありませんし、現在自死願望もありません。
ですが、内面化されたバイアスに無自覚なまま、闇雲に自分を責めて、自己否定感と強い罪悪感を己に課し続けることは、心に対する自傷行為なのかもしれません。それによって一時的に精神的な安定を求めようとしてしまうことも含めて。
どうせならもう少し穏やかな方法で精神的な安定を図れるといいんですけどね。
根本的な、そもそもの考え方を直すには、結構な労力と時間が必要そうです。