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生き方

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ふとした日常から「生き方」について考えた軌跡。
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2020年10月の記事一覧

今日の私は、人と会うときの前提に意識的になろうと思う

10,537日目 ライフステージの分岐点にいる。 そう感じる出来事があった。 以前に会社の同じグループで働いていた同期と久しぶりに会った。 彼女は、もうすぐ2歳になる娘がいる。 家庭では母、妻の役割を担い、会社では中堅の立場になっており、複数の肩書きを入れ替えながら過ごしている。 私と会った休日も、娘と二人で来た彼女は母の顔と同期の顔を入れ替えていた。 互いの前提子供はかわいかった。私は、度々話しかけていた。でも、彼女に対して母としての近況を聞くことはあまりなか

今日の私は、‘ほめ’について考えた

10,535日目 ほめることが好き。ほめるって書くとちょっと偉そうだけれど、「いいねー」「この服すてき!」「赤ちゃんかわいい」とか自分の感情や感性がポジティブに動いたときの心の声に近いもの。 ほめるを出すわざとらしいお世辞ではなく、感情が動いたときに伝えれば嫌な気持ちになる人は少ないんじゃないかな。 そう、そこになにがしかの忖度でないこと、等身大の声であることがとっても大事。 ほんとに時々、これまでの世渡り経験から本音じゃないことをほめてしまうことがある。自分に罪悪感

今日の私は、家族の中で自分を位置づけるPart2

10,533日目 この間の続き。 下書きに残っていた家族に関する記事から自分と家族の在り方を考えてみる。 兄弟編。 ⇓ 親編(Part1)はこちら 家族構成 父と母、3人兄弟の5人家族。 2つ上の兄と4つ下の弟に挟まれている長女。 兄 長男家の長男として生まれた兄は、やはり責任感が強い人に育った。 幼稚園から高校の時までサッカーを続けてきたサッカー少年であり、中学に進むと家族行事である旅行よりもサッカーを優先していたし、思春期には親へ反抗的な態度も取っていた。

今日の私は、家族の中での自分を位置づけるPart1

10,531日目 下書きを見直していて、家族に関する記事を見つけた。 両親を中心に家族は私に無償の愛をたくさん注いでくれた。今も注いでくれている。 時々、大人になった私には、親としての愛情が重荷になって、安全な・無難なレールを歩まないといけない気になってしまうけれど、それでも注いでくれる愛に関しては感謝してもしきれないことは確か。 私が、「人間」を好きになり、コーチングを仕事にしているのも、家族の影響もあると思っている。原点。 自分が家族とどうありたいかということも

今日の私は、行きつけの居酒屋で対話する

10,529日目 半年ぶりに私のサードホーム、行きつけの焼き鳥やさんに行ってきた。 そこは、カウンターだけの店。店主が常連客の間をつなげながら、新客をおもしろおかしくもてなす。 肩書があったとしても、みんなが(とうちゃんと呼ばれる)店主の子分として平等でいられる。だから、客同士で和気あいあいと話せる。 昨日、初めてじっくりお話した二人。 夫婦で来られていた40代専業主婦Nさん。そして、世界を行脚して働く30代独身男性Kさん。 楽しいが一番 お店の雰囲気とお酒が初対

今日の私は、スキンシップについて考えた

10,527日目 生粋の日本人の私が、大切だなと感じることの一つに日本人らしくないことがある。 「スキンシップ」 日本に住んでいるから抑えているけれど、特にハグは素晴らしいと思う。 海外に行って友達とハグであいさつをしていると、人間関係の豊かさを実感できる気がする。 スキンシップを大切に思う理由は何か。 人生の軸との関連性 スキンシップは、感謝を伝えることのできるツールだと思う。 挨拶程度の短いハグから、本当に感謝している!を表現するための強いハグまで、すべては

今日の私は、’I'を考える Part2

10,514日目 先日書いた、自我'I'の話。 コーチング仲間との対話を通して、新しい切り口に気が付いたので考えてみる。 前記事では、○○したいという視点の’I'だったけれど、今日は、存在としての’I'について。 'I' がなかった時代 「20歳くらいまでのほっこは、どんな人だった?」 という問いに対して、私は言葉が出てこなかった。 しばらく考えて、「演じていた自分」を思い起こした。 以前も書いたかもしれないけれど、幼稚園のころからなぜか「しっかり」という言葉を