「夜のりんご畑で ~ ある知り合いの方から聞いた素敵な話」
まだ僕が長野県に住んでいた頃、知り合いの男性と一緒に酒を飲んだときのお話。
3歳年上の中学校の音楽の先生だった。飲み屋のカウンター席に並んで、27歳の頃のこんな体験について話してくれた。
― ある夜、りんご畑の横を歩いていると、月明かりがあたりを照らし、その光の中で見えるものが勢いよく目に飛び込んできた。月の光が地上を照らし、その光が自分の目に跳ね返ってくる。この世のすべてと自分との繋がりを感じ、感動の涙が溢れてきた。自分が何を感動しているのか良く解らない。しかし、外界の見え方がそれまでとまったく違って目に飛び込んでくる。 ―
その夜は、仕事仲間との飲み会の帰りだったので、あるいは酔っているせいかとも思った。一夜明けると、また以前と同じようにしか見えるかも知れない。それだったらそれでも良いと思った。ただ、目が覚めたときに世界がどう見えるのか楽しみで、幸福感の中で眠りに就いた。
天気の良い朝だった。果たして世界がどう見えるだろう・・・。窓のカーテンを開けると、前夜と同じように、目に映る全てが、こちらに向かって鮮烈に飛び込んでくる。職場に向かう道で、回りに登校中の子供たちも歩いているというのに、胸の内に幸福感が溢れ、涙が溢れそうになり困った。
それ以降、何も怖いものが無くなった。
「誰にでもは話しません。あなたなら、こういう話を受け止められるのではないかと思って話してみたかったんです」
そう言ってもらえたのが嬉しかった。
そのとき、こちらからはこんな体験について話してみた。
奇しくも同じく27才のときのこと。僕は農業のアルバイトをするために長野県南佐久郡にいた。雨の日曜日、寮の一部屋に、身を横たえ目を閉じていた。外から雨音が聞こえてくる。その音が、自分の胸の中にまで染み入ってきて、雨の音と自分の体との間に境が無くなったかのように感じた。それと同時に、その雨が、自分の外の世界、近辺の畑、山、川、町を覆い尽くしている様子が思い浮かび、宇宙に浮かぶ無数の星雲と星々の様子がイメージされた。昔から今、そして未来へと続く無数の命の流れの中にいること、この世に受け入れられていることを感じ、体中から力がスーッと抜け、心が満たされてゆくのを感じた。
「そう、それと同じだと思います」
その後、どんな話をしたかは覚えていないが、日ごろ滅多にできない話ができて、嬉しい夜だった。
また、その先生の研究授業を実際に見てきたという方から聞いた話だが、
授業終了後、感想を述べる若い女の先生が、「今日ここに来れて、ほんとうに良かったです」と言いながら、感動の余り涙を流していたという。人の心を解きほぐし、暖かい気持ちにさせてくれる人で、彼の人柄から伝わってくる魅力を多くの人が異口同音に語ったものだ。
長野冬季五輪に向けての自主活動を通じて知り合った方だった。その後、こちらは故郷鹿児島に居を移したこともあって、お付き合いは無いのだが、彼の存在を思い出すだけで幸福感に包まれる。これまでの人生に於いて、こういう方と接点が持てたことに、素直に感謝したい。
ああいう人には、なろうと思ってもなれるもんじゃないなぁ。
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※ その後読んだ、ジーン・シノダ・ボーレン著『タオ~心の道しるべ』
の中に書かれている「タオ体験」が、同様の概念だと思われます。
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