「味覚が変わったよ」
これまでにも書いてきたとおり、家族の中に「霊感」と呼ばれる能力を備えた者が複数いて、超常的な現象を目の当たりにした経験がある。
現在私は、生まれ故郷で一人暮らしをしており、霊感のある親族とは離れて暮らしているので、年に数回、霊感のある占い師の先生を訪ねることが、なかば習慣となっている。
昨年の春訪ねた折り、亡き両親と交信してもらったり、自分の近未来のことなどを鑑定してもらった。
そのとき、言われたことの中に、このような事柄があった。
― 6月に、自分でも「あれ?」と思うくらい味覚が変わる ―
不思議なことを言うものだと思った。そんなことを言われたのは、当然のことながら、生まれて初めてのこと。突然味覚が変わるなどということは、それまで経験したことがなく、一体どんな感覚の変化が起こるのか想像がつかなかったが、人生に大きな変化をもたらす一大事というわけでもないので、さほど気に留めるという感じでもなく、起こるべき変化を心の片すみでなんとなく楽しみにしていた。
そして、予言された6月上旬、実際にそれらしきことが起こった。
スーパーに買い出しに行った際、鮮魚売り場に並んでいた小ぶりの赤イカが目に入り手が伸びた。それまで、特にイカが好きだということはなく、なぜそうしたのかは、よくわからない。
帰宅後、丸のままボイルして夕食のおかずとして食べたところ、これまでに感じたことのない美味さを感じた。とりわけイカスミを含む内臓部分の美味さからは、この方感じたことのないほどの満足が得られた。
(調味料を使わず水煮するのは、現在の体調を考えてのことでもある。腎機能が低下しており、カリウム、塩分を控えるようにと、医者からの助言を受けてのこと。)
それからしばらくの間、スーパーで小さいサイズの赤イカを目にするたびに買って帰り、丸茹でして食べることが、マジックの新ネタを覚えるのと同等かそれ以上の楽しみとなった。
やがて、食材としての興味は、イカから青魚に移行した。イワシやサバなどを、調味料を使わず、丸茹でして素材そのものの味を噛みしめることに幸福感を覚えるようになった。“幸福感”などと言うと、大袈裟に聞こえるかもしれないが、自分自身では、まさにそんな感覚だった。
ー 自分でも「あれ?」と思うぐらい味覚が変わる ―
なるほど! 言われたのは、このことだったのか・・・。
と思ったが、これは予言などではなく、催眠術よろしく暗示にかけられたのかも知れないとも思った。
予言なのか暗示なのかはわからない。自分にとってはどちらでも良いことだ。それを境として食習慣が大きく変わった。ただひとつ確かに言えるのは、その事実だけだ。
しばらくして、はたと気づいた。
イカにしても、青魚にしても、亡き父が生前好んでいたものだ。
父の晩年、よく「イカが食べたい」と言っていた。刺身が良いか、イカソーメンが良いか、それともイカリングにしようかと尋ねると、「全部食べたい」という答え。
「全部というのは、こちらが付き合いきれないから、どれか一つにして」
そんな遣り取りがあったことを懐かしく思い出した。
その結果、確か、イカソーメンを買ってきて、食卓に出したのではなかったかな?
後になって思った。人生の最晩年にあった父に、イカ尽くしの食卓を提供してあげればよかった。そのことが少しだけ心残りだった。
スーパーの売り場で、何となくイカに手が伸びたのは、その時は気づいていなかったが、心の底のそんな微かな思いに突き動かされていたからかも知れない・・・、その可能性もある。
しかし、そうだとしても、実際に食べてみた時に、それまでに感じたことのない美味さを感じたことへの説明がつかない。これまでにも、何度となく同じものを食べたことはあるのに、そのように美味に感じたことは一度もなかった。
そこで、はたと思い出したことがある。
約20年前、故郷鹿児島に移り住む直前、姪っ子に、亡くなった友人の霊を呼び出してもらったときのこと。
「久しぶりにビールが飲みたい。代わりに飲んでくれれば、僕が君の体の中に入って味わうことができるから」
姪っ子の口を通じて、そのように語り掛けられたときは、そんなことも出来るのかと驚いた。
(※詳細は、文末にリンクしておきます。)
そのことを思い出し、もしかすると、この味覚の変化は、父が私の身体を通して、大好物の味を楽しんでいるのかもしれないと思った。スーパーの鮮魚売り場で、なぜか赤イカに手が伸びたのは、天国の父の思いが、息子である私に降り注いだ結果なのかも知れない・・・、そんな考えが浮かんだ。
私には、亡くなった人と会話が成立するような霊感は今のところ目覚めてはいないが、占い師の先生によると、テレビの受信チャンネルのような霊的感受性はあるらしく、守護霊などの影響を受けやすいらしい。
そこで、次に占い師の先生を訪ねた折りに、そのことを伝えてみた。
「お父様が、こんなふうにおっしゃってますよ。少し干渉し過ぎたかな?それについては少し反省している。いたずらっぽく笑ってますよ」
あの突然の味覚の変化から、やがて1年がたとうとしている。イカからイワシ、サバへと広がった嗜好は、その後、アジ、ウルメイワシ、トビウオ、ムロアジと拡大している。アジやウルメイワシについては、最初は、小骨が多かったり、味が淡泊過ぎて味気なく感じたりで、美味いとは思えなかったが、その後、こう考えてみた。
― ウルメイワシやトビウオにマイワシの美味しさを要求しても、無理な話。経験の中にある「美味しさ」を勝手に期待するのでなく、向こう側から伝わってくる素材本来の味に、こちらから注意深くアプローチすれば、距離感は縮まるのではないか・・・ ―
そう考えて、未知の味世界に注意深く踏み込むような気持ちで食するようにしたところ、様々な食材の様々な魅力にこちらから近づいてゆく楽しみを覚えた。
骨やウロコも、初めて箸を付けたときは、対処するのが面倒でストレスのタネになったが、繰り返しアプローチしているうちに、手順として身に付き、ストレスは消えていった。
魚の種類によって味が違うように、その栄養成分や健康効果も異なるわけで、インターネットという便利なツールがある現在、簡単に調べが付くので、食材研究も楽しみの一つとなっている。
まあ、そんなわけで、この1年をかけて、徐々に味の嗜好が変化しているだけでなく、各食材と対話するかのように自分の味覚に注意を傾ける食事そのものの在り方が、それ以前とでは随分と変化していることに気付かされる。
天国の父が、私の身体を通じて好物を味わおうとちょっかいを出してくれたおかげで、これまで考えたこともない方向に楽しみが広がったことは確かだ。
父上よ、ありがとう!
息子の舌を通じて、天国で大好物を味わってくれているのであれば、少しはお役に立てているのかな?
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(※亡くなった友人との交霊体験)
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