【日記】読書ってかなり懐が広いものだと思うわけよ

本を読む。私はKindleやAudibleも愛用しているけど、指先で紙を捲る感覚が割と好きで、紙媒体で買うことも多い。

本を読むとき、音楽を聴いたり環境音を流したりする。この事を知人に話したところ、

「それ、本に集中できなくない?」

と言われた。私は最初何を言われているのかわからなかったけど、しばらくして理解した。音楽の方に意識が向いてしまって本の内容が頭に入ってこないのでは?ということだよね。

答えましょう。仰る通りです。

でも、この「集中できなくなる」って感覚、私にとってはめちゃめちゃに当たり前というか「前提」すぎて、何を言ってるんだと思ったんだ。

私としては、複数のことを同時にするって到底無理なことでして。読書×音楽鑑賞も然り。本のページを捲りながら音楽を聴いていて、ふと「ここのギソロかっけ~」とか「この曲ってこんなシンセ入ってたっけ?」とか思ったら、もう活字を目で追うのは終了。意識は音楽に集中する。読書の部分は、わずかに指先に感じるざらざらした手触りと紙の匂いを「無意識」に摂取させるのみになる。

でも、これでいいと思っている。
何かひとつにぎゅっと集中するのは昔から得意ではない。常に注意散漫な人生だった。だからこそ、その時一番集中できそうなものに身を任せて集中しちゃう。私にとって読書ってそういうものなのだ。

もちろん、音楽が耳に入ってこないくらい読書に集中することもある。でも、耳にはお気に入りの音楽が流れていて無意識下に物語を彩ってくれている。

このnoteも、本を読んでいる最中にふと知人との会話を思い出して書き始めたものだ。

なんとなくだけど、読書が苦手な方はその理由のひとつに「集中しなきゃいけない」がある方もいる気がする。今めっちゃ「る」っていった。えーと、少なくとも昔の私はそう思っていた。

読書中でも音楽に集中していいし、紅茶を飲んだっていい。私なんか紅茶の感想まで書きだすし、筆が乗ってくると鼻歌まで歌いだす。それがひと段落して、読書に戻ったり戻らなかったりする。本って、側にあるだけで少しテンションが上がるから、もはや私的には本が側にあれば読書の一貫とすら思っている。

そう思ったら読書のハードルってかなり低い気がする。

私の周りの友人は(そもそも私に友人が少なすぎるため)本を読む人が非常に少ない。いないかも、何なら。だから、今度話すときに「本を読むって、はちゃめちゃ楽しい!」というパワポでも作って持っていってみようと思う。大丈夫、私の数少ない友人たちは心が優しいんだ。

……はい。それでは、読書に戻ることにいたします。

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