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インフルエンス

 「なあ、祐樹、お前『追憶』もう読んだ?」

 俺の席の隣に腰掛けながら、大輔はこちらを見ずにそう訪ねた。

 「いや。見てない。お前は?」

 俺は顔だけ大輔の方を向いた。大輔はこちらを見る気はないようで、黒板を眺めている。

 「実は、昨日寝る前に読んだ」

 「ふうん、そうなんだ。実はって何だよ」

 「いやいや、何か祐樹さ、あんまり好きじゃなさそうだから」

 横目で俺の方を伺う。そうやって相手の顔色を見ながら話すのは、こいつの良いところであり悪いところだ。

 「別に。まだ読んでないだけ。そのうち読むって。で、どうだった?世間が騒ぐ理由がわかった?」

 「あー。そうだな。俺にはちょっと難しかったけど……でも、話題になるのはわかるな。面白いし、すげえ作品だと思ったよ」

 おかげで寝不足だ、とこちらに目をやり、大げさに眉間にしわをよせた。

 「そうか。俺も早いところ読まないとな」

 そう返して俺は席を立った。


 三日前くらいに、とある小説がSNSを中心に話題に上がった。それが、『追憶』だ。長編読切で、ページ数は一五〇ページ近くある。WEB上で完全無料公開されており、近日単行本が発売されるらしい。新人の持ち込みによる作品ということだが、そのクオリティから覆面作家なのでは?という意見もちらほら見る。

 真実はわからないが、とにかくその小説は非常に面白いらしい……というか、面白い。先程大輔には読んでないと言ったが、あれは半分嘘で、実は最初の数ページだけ読んだ。その数ページで既に非常に面白く、そして「面白い」だけの作品ではないことが分かった。文章とその表現、ストーリーの構成、人物の心理描写、とにかく全てが素晴らしかった。まるで、ページの隅々まであらゆる才能が散りばめられているようだった。続きを読みたいと思ったが、やめた。俺は、これ以上「圧倒的な才能」に触れたくなかった。

 会話を続けたくなくて席を立ったはいいものの、特に目的はなく手持ち無沙汰になってしまった。スマホの画面を開き、時間を確認する。十六時二十二分、進路相談まではあと二十分近くある。親指で画面をスライドし、鮮やかな水色のSNSアプリを開く。

『ユウキさん、もうお話は書かないんですか?』

『俺、毎日ユウキさんの小説読み返してます。今じゃなくてもいいんで、元気になったらまたお話書いてくれると嬉しいです。』

『体調不良ですか?新しい小説の公開楽しみにしています。』

 かなり通知が溜まっていた。一週間程何の更新もしていなかったのだが、それを心配してくれる人が思いの外たくさんいたらしい。ざっと全てのコメントに目を通し、十以上あることを確認して、個別での返信は諦めた。

『急に更新を止めてしまい本当にすみませんでした。心配してくださる方が多く、非常に励みになります。今進路のことで少し悩んでおり、小説を書くことまで手が回っていない状況です。時間や心に余裕ができましたらまた小説を書かせていただきますので、今後ともどうぞよろしくお願いします!』

 ささっと文章を打ち込み、投稿する。しばらくぽつぽつ増えていく反応を眺め、ため息と共にアプリを閉じた。

 窓から空を眺める。まだ明るいが、半袖では物足りなさを感じる季節になりつつあった。




 教室に戻ると、大輔はスマホのスピーカーで音楽を聴いていた。

「よっ、お帰り。長いうんこだったな」

「うんこじゃねーよ。それよりお前イヤホンしろって」

 そう言いながらも俺は流れている曲に耳を傾けていた。何だっけこの曲。

「聞いたことあるんだけど」

 すると大輔は心底驚いたように目を見開いてこっちを見た。

「マジ?お前これあれよ、Rapid fireの『大革命』ってやつ」

「ああ、この間お前が言ってたやつか。だからだわ。聴いたんだよ、MV出てたろ」

「そうそう!え、聴いてくれたのかよ!言えよお前、CDとか貸すのに」

「そうだな、借りてもいい?このバンド、歌詞にストーリー性があってさ、結構良いなって思って」

「だろ?それこそこの間出たアルバム『それでも地球が回る理由』、短編集みたいで良いんだよ。あっ!今度さ、文化祭でカバーするんだ、この曲。聴きに来てくれよ」

 キラキラした瞳で語る。俺はそんな大輔が心底羨ましかった。好きなものを好きなままで楽しめるその感性。俺にはない。俺は自分以上の才能が妬ましくて、憧れすら歪な形で、素直に抱けない。

「あ、そういやさ」

 大輔がばつの悪そうな顔で話題を変える。

「なに?」

「さっき木場先生が、祐樹が帰ってきたら職員室くるようにって。前の人が早く終わったらしい」

「お前、それを早く言えよ」




 職員室には木場先生しかいなかった。

「遅くなってすみません」

「いいよ。そこ座って」

 そういって示されたパイプ椅子に腰掛けると、パンフレットを手渡された。

「それな、そのパンフレット、今うちに就職の案内が来てるんだ」

 言われてパンフレットに目を落とすと、地元では割と大手と言える、動画制作会社のものであることに気付く。やたらカラフルな表紙には、大きく「新人プログラマー募集!」と書かれていた。

「小田、成績良いだろ。うちの中ではだけど。うちに来る就職案内の中でここが一番大手の企業だ。教師陣皆でお前を推してる。どうだ?考えてみないか」

 嫌だ。心の中でそう即答した。

「えーと、まだ僕、就職どうしようか迷ってて」

 嫌だと思うのに、言えない。俺は昔からこうだ。意気地がない。大輔と一緒だ。人の顔色を伺いながらじゃないと話ができない。木場先生の目を見る。その目には確実に「呆れ」が見て取れた。

「小田、お前最近浮ついてるな」

「え」

予想外の言葉が飛んできた。

「何を考えてるのか、将来に夢を持っているのか知らんが、そろそろ現実を見ろ」

諭すような声色に、俺は返事ができなかった。現実を見ろ、現実を見ろ……そうか、俺は現実を受け入れることができていなかったのか。

「なあ、小田。俺はお前の……」

「先生」

思ったよりもかすれた声が職員室に響いた。

「今日は、一旦帰ります」

先生は、目を丸くして驚いている。俺は言葉をつなげる。

「現実を見てきます」




「なあ、祐樹、お前就職どうすんだよ」

駅のホームに電車が止まったタイミングで、大輔が口を開いた。

「小説、やめるのか?」

どちらともなく立ち上がり、電車に乗り込む。

「……お前こそ、バンドどうすんだよ。やめるのか」

「俺は、そうだな。やめる。最悪、働きながらでも出来なくはないしな」

 電車が動き出した。大輔はこちらを見ずに、窓の外を見ていた。

「……そっか」

 俺も窓の外に目をやる。俺たちの視線の先で、日が傾き始めている。



 家に帰ると、俺はスマホの画面を点け、『追憶』で検索をかける。ヒットしたその小説を、何回か深呼吸をして、読み始めた。

 読み始めると時の流れが非常に速かった。やはり世間が騒ぐだけあって、とても面白い。

 最後のページをスライドして少しだけ余韻に浸り、俺は鮮やかな水色のSNSアプリをゴミ箱へと移した。

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