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言葉を書いて生きたい

画像はなんの関係もない、先日撮った新世界の写真である。づぼらやがなくなった悲しみが未だに癒えない。

私には胸を張って得意だと言えることも趣味もない。
運動は嫌いだし、勉強だって成績は中の中くらいだ。
趣味と言っても手芸はするがたまにやる程度だ。ODや自傷行為は週に1度くらいはするが趣味だと堂々と言えるものでは無い。
やりたいことも特になくて、強いて言えば就職で上京したくて4年間の大学生生活を頑張ったがコロナのせいで内定は取れず叶わなかった。今はどうしようもない田舎の実家でバイトをしながら暮らしている。将来に対して希望もやりたいこともなくただただバイトしてその給料で酒やブロンを買って飲むというクズ極まりない生活を送っている。

だがそんな私にも一つだけ得意だと言えることと趣味がある。
文章を書くことである。
文章を書くということだけはなぜか昔から得意で好きだった。おそらく母親が読書家で生まれた時から身の回りに大量の本があるのが当たり前だったからだろう。子供の足でも歩いて行ける距離に図書館があり、本を読むことが当たり前のことでいつしか真似事をして自分でも文章を書くようになった。
私は学校で出される宿題というものがとにかく嫌いでいつもやれと言われて渋々やっていた。だが作文を書く宿題だけは楽しくていつも学校から帰るなり真っ先に書いていた。作文の宿題は小学校1年生から6年生になるまで毎日書いていた。母親は当時の作文帳を今でも全て保存していて、たまに読み返してゲラゲラ笑っている。私としては恥ずかしくて堪らないのだが、それと同時に私は母親を笑わすことができる文章を書けるのだという自信にもなっている。それに関してはありがとうとしか言えないのだが食事をしているときに、ジェットコースターで私が吐いて父親の顔にゲロがかかってしまい父親がもらいゲロをした作文を持ち出して笑うのはやめてほしい。

話が逸れた。まぁ、とにかく私は文章を書くのが人並みかちょっと上くらいに上手で好きなのだ。
大学でも文学系の学部と文芸サークルに所属していた。当然就職もそういった業界に行きたかったのだが内定は取れなかった。辛い。コロナが許せない。
でも私は諦めたわけではない。そもそも仕事にしなくたって文章は書ける。仕事に出来たら1番いいのだが。日本語の読み書きさえ出来れば、文章を書いて生きていくことは出来るのだ。
そういうわけでnoteを始めた次第である。
飽き性の私がどれだけ続けられるかは分からないがとりあえず毎日続けてみようと思っている。あわよくばそれでちょっとでも収入が得られれば嬉しい。
私はアニメ、民俗学、ゲーム、オカルトといった事には詳しいし大学在学中にはかの有名なマッドジョージ氏やOGのモデルや絵本作家に実習の一環でインタビューを行ったこともある。フットワークの軽さにも自信があるのでもし上記したような事に関する依頼があれば積極的に受けたいと思っている。


最後に、最初の投稿ということで文中に書き記した私の作文帳を載せたいと思い探したのだが、1冊しか見つからなかった上に学期の最後に書いたものらしく2本しか書いていなかった。母親の寝室を探せばもっとあったのだろうがさすがに母親が留守の間に探すのは憚られた。
なんとか少しでも面白いものを、と探して見つけた1枚だけを載せておく。

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