やすとみ歩氏が語った「国防は信頼の積み重ね」こそ、これからの世界が向かうべき観点である

参院選間近となり、各政党の街頭演説もヒートアップしている中、7月12日に品川駅で行われたれいわ新選組による「れいわ祭」は、聴衆が会場を埋め尽くし、あたかも革命前夜のような様相を呈していた。

その中で、比例区の候補者の一人で、「女性装」との言葉を作った当人である、東京大学東洋文化研究所教授、やすとみ歩氏の「国防」に対する発言が、いまの現役政治家たちの2歩も3歩も上をいっている内容だった。

やさしい語り口調で誰にでも伝わるように語るやすとみ氏

「現代社会で戦闘機を買って国を守れると思えますか?」そんな素朴な疑問から、やすとみ氏の国防に対する意見ははじまる。

たしかに、長距離弾道ミサイルなど、一瞬で大都市に壊滅的な打撃を与えることができる代物を相手に、戦闘機を何機配備したって、国を守ることはできないということは想像がつく。

ましてや、日本全国に配置された原発。ここを狙われたら、核爆弾を落とされるのと同じレベルのダメージ。戦闘機があったって、自爆装置を抱えている日本は国を守れないのだ。

やすとみ氏は訴える。

「私たちが唯一できる国防は、信頼関係をはりめぐらすことしかありません」

「国同士が信頼関係を結び、その信頼関係の束が国同士を守ってくれるはずです」

実際に日本人はこの信頼関係で守られてきたと感じる

さて、このやすとみ歩氏が訴える「信頼関係による国防」は、理想論であり、実現不可能と思われるだろうか?

実際に、この信頼関係を日本はこれまで築いてきたことで、多くの日本人が海外において安全に生活や仕事ができていた過去を忘れてはならない。

私自身、カナダとアメリカにそれぞれ1年強暮らしていた経験があり、そこで感じたことが、このやすとみ歩氏の理論が正しいと思える根拠になっている。

海外で「日本人」はとても親切にされる。また、「日本人ならOK」という理由で十分な資金がなくても家を借りれたりしたこともあった。これはどういうことかというと、それまでにその人たちが出会った日本人が、信頼のできるいい人たちばかりだったことからくる信頼である。

現地でその文化に歩み寄り、信頼関係を築けるのは、実は日本人の能力であり特性である。同じアジア人でも中国人は、移民先の文化には溶け込まず、自分たちの「リトル・チャイナ」を作ってその中で暮らしてしまう。移民の数が圧倒的に多いことも影響してはいるが、それよりは文化的な背景が強いと思う。それゆえ、現地の人たちからあまりよくない印象を抱かれることが多い。あなたの敷地内に貸家があって、その人たちがまったく挨拶にこない場合と、ちょくちょく顔を出してくれる場合、持つ印象ががらっと変わるのは想像がつくだろう。

企業から海外に赴任して働く日本人から、バックパックひとつで世界を旅する日本人まで、みな、その地域で信頼を勝ち取ってきた結果、「日本人は信頼できる」という、非常に貴重な認識を世界中にはりめぐらすことができたのである。この「信頼の網」は、海外で旅行するときに非常に強く感じたし、日本人である自分にとって、心強いセーフティーネットであった。実際に、ひと昔まえは「日本人はテロの対象になりにくい」という認識もあったはずだ。

日本人が築いた「信頼の網」を安倍政権がぶち壊そうとしている

ところが、この日本人が長い年月をかけて作り上げてきた「信頼の網」が、安倍政権下において、壊されはじめている。というか、もう壊されている。

実質、米国の支配下にある安倍政権は、米国寄りの発言を繰り返すことで、もはや反米国の国にとっても日本は敵国である。この状態で改憲して、自衛隊の活動範囲を広げたとしたらどうなるだろうか。派遣先のゲリラ団体にとって、「日本人」は明確なターゲットとなるであろう。

現政権を支持する人のなかには、「富国強兵」こそが唯一の国防の手立てと信じている方も多いが、これは、日本国内にしか生きたことがない狭い視野からみる古い考え方である。武装することで、ますます日本の安全は脅かされる。この危機的状況を察して、やすとみ歩氏は「信頼関係をはりめぐらすことが唯一の国防」と論じていると私は感じた。そして、このやすとみ歩氏の国防に対する考えかたこそが、これからの時代に必要な手段であり、世界中のすべての国が、向かうべきところなのである。



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