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”いわゆる”ハーフというわけ
ハーフへの眼差し/なぜ“いわゆる”と付けるのか。
ハーフと聞いて何を思い浮かべますか?「細い」「英語が話せる」「容姿端麗」などを思い浮かべる人が多いのではないのではないでしょうか?(しかしこれはいわゆる白人とのハーフであり、様々なハーフがいるということを強調したいです。さらに白人主義的な美の価値観の影響からこのように捉える人が多いものの白人主義的な美の価値観は歴史から来るものでありそのような価値観は正しいとは言えず、白人的な特徴を持つことこそ美しいと考えることは有色人種への人種差別につながるため危険です。)
ここでなぜ“いわゆる”という言葉を付けているのかということが大事になってきます。
この言葉はアメリカにおける公民権運動の際に活動していたマルコムXの“so called”の和訳なのです。マルコムXが“so called negro”(いわゆるニグロ)を使った理由として『ニグロと呼ぶのは白人側であって、自分たちがそう定義しているわけではなく、自分たちはニグロではないが、世間がそう呼ぶので“いわゆるニグロ”としている。』としたわけです。
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ハーフという言葉も世間、つまりマジョリティがそう呼ぶからその枠組みが与えられているのであって私は自分のことをハーフであると自己認識をしていません。
それゆえ、私はハーフという言葉に”いわゆる”をつけるのです。
近年では、ミックスであったり、ダブルであったり、さまざまな言い方があります。しかし、どのような呼び方がしっくりくるのか、と問われると私にはあまり、どれもしっくり来ていません。
呼び方に関しては、ほんとに人それぞれの感じ方があり、一概にこれがいいとは言えないような気がしています。ハーフであるというフレーズがいつか自己紹介の時に必要でなくなる。興味に晒されないようになる。そんな日が来ればいいなと思っています。