筒井筒井筒井筒井筒井筒井筒井筒井筒

幼なじみカップル、限りなくかなし。
古典幼なじみの話について。

「筒井筒」をご存知か?

「伊勢物語」をご存知でしょうか。歌物語といって、読んで字のごとく和歌の挟まれた物語です。古典文学だとかなりメジャーなので、興味はなくとも一応読んだことのある人が多いと思います。私も高校の古典で読んで初めて内容を知りました。

その中の一章に、「筒井筒」という章があります。文中の和歌
「筒井筒井筒にかけしまろがたけ 過ぎにけらしな妹みざるまに」からとられているであろうこのタイトル、私的には語感もよくて結構ハイセンスだと思います。あらすじは大体以下のような感じです。

登場人物: 男←幼なじみ→女(大和在住)、浮気相手の女(河内・高安在住)
①幼なじみの男女が思春期を迎えて互いに好き避けするも、結局
「お互い大人になったよね(だから結婚しよう)」「ずっと待ってました、結婚しましょう」みたいな和歌を送りあって結婚する。
②妻の親が亡くなり、不安になった夫は浮気に走る。妻が咎めてこないので他の女のもとに通っている分際で浮気を疑ってこっそり見ていたところ、妻は自分への純愛和歌を詠んでいた。夫は「うわ、俺の嫁天使すぎる…」と思い浮気をやめる。
③再び妻ラブになった男が浮気相手の家を訪れ、浮気相手が自分で飯をよそっているのを見て男が蛙化現象を起こす。通わないと浮気相手がうるさいので適当に返しつつ無視。また手紙来たけど無視。

細かいところはネット等で全文見た方がわかりやすいと思います。

筒井筒ちゃんのここが好き

①幼なじみが結ばれる

まず好きポイント1なんですが、幼なじみが結ばれてるところがもう、好きです。お互いに意識しちゃって避けるところとか、でも相思相愛なところとか、いいですよね。しかも少なくとも女の方は縁談を断ってるんですよ。ぽっと出の男や女の付け入る隙がない。幼なじみな上に成人してすぐ結婚してるので、周りが初婚もまだで和歌バトル婚活してる横で熟年夫婦ヅラしてるのかもしれないと思うと、もう口角が上がってきます。

②ヘタレ男子とママ女子

次に、全編通して男がクッソヘタレのダメ男なところがいいです。他の男に取られる前にさっさとプロポーズしろ。想いのデカさの割にプロポーズが遠回しすぎる。貧乏になったからって不安になって浮気するな。飯を自分でよそっていたごときで冷めるな。この主人公の男って、当時の読者的には共感しやすいというか、あるあるな男性像だったんでしょうか。だとしたら、蛙化現象も含め現代と変わってなくて恐ろしい。それに対して女はなんとなく男前な気がします。男の「いつのまにか大人になったね(そろそろ結婚しない?チラッチラッ)」とかいうまわりくどいアプローチに対して「あなた以外と婚約する気はありません」というド直球。女のプロポーズの原文も
「比べ来し振り分け髪も肩過ぎぬ 君ならずして誰か上ぐべき」なので、一見意味不明なんですが、この時代は女性の成人儀式に「髪上げ」というのがあり、婚約した、もしくは結婚相手を募集するという意味になるらしいです。これ、私が見たいくつかの現代語訳のサイトでは特に触れられてなかったんですが、わかっている前提なのか文脈から読み取れということなのか。
脱線したんですが、その後も女はずっと山のごとくどっしり構えています。この時代は男女問わず愛情に不安を感じて病みがちな中で、結婚しても浮気されても変わらない態度で夫を想い続け、手紙にするでもなく一人で悠長に和歌を詠むという正妻の余裕。ママぁ~~!!!って呼んで抱き着いてみたいです。なんなら夫にそう呼ばれてるかもしれない。

③限りなくかなし(迫真)

三つ目に、浮気を疑った夫が一途に自分を想う妻を見て発する「限りなくかなし」という文言がとても好きです。見てるだけで笑顔になれます。元気になれます。ちなみに文脈からも察される通り、「かなし」=「愛し」はかわいい、愛しいという意味です。つまり「限りなくかわいい…好き…」みたいな感じになります。直前までの文と比べてみるとより際立つんですがこの「限りなくかなし」、古文とは思えないほどの分かりやすさ。すっと頭に入ってきます。語彙力が死んでいる、もっと雅な語彙を使ってほしい。あらまほしとかなまめかしとか言ってほしい。限りなくという言葉選びがまた全く雅じゃなくて、何なら若干知性が下がってそうで面白い。これが「いと」とか他の言葉だったらこうはならなかったと思います。ちょっと前まで古文らしい難しげな文章だったのに、美人妻が自分への愛の歌を詠んでいるのを見て語彙力が突然なくなってしまう様が端的に表されている。
もうこの一文が「限りなくかなし」です。もしこの男が同僚だったりしたら一生「限りなくかなし(笑)」って言い続けると思います。多分3回目くらいで飽きます。

ここまで限りなくかなしを擦っといてなんなんですが、なんでこんなにツボにはまっているのかは自分でもわかりません。実はそんなに面白くないと思います。Twitterで神絵師に「限りなくかなし」とリプしたり、Vtuberのチャット欄に「限りなくかなし」「限かなすぎる」「〇〇×△△マジで限かな」と書き込むのが流行らないかなとは思っています。

古典文学読もう

この一連の文章は筒井筒が良いなと思って衝動的に書いたのですが、古文は世界観というか価値観が現代と似ているような似ていないようなで面白いので、現代語訳でも何か読んでみたら面白いんじゃないかなと思います。あえて原文を品詞分解しながら読むのも楽しいと思います。少なくとも私は楽しいです。
それからもう一つ古文を読むのが楽しい理由として、文が簡潔というのもあります。言ってる内容がきょうくんだったりする時も書き手の思想や感情が文にあまり現れない気がする(清少納言はゴリゴリに出てると思います)のがいいです。特に私みたいに村上春樹のような文体があまり好みではない身からすると、古文やそこまで行かなくとも古い文は、すっと頭には入ってきませんが読めたらとても楽しいです。

おわり

衝動的に深夜テンションで書きましたが、筒井筒が好きなのは本当です。エーミールより好きです。
そしてこんな謎の語りを読んでくださり幸いです。でかい口をきけるほどの立場ではないですが、ぜひ他の古典文学も読んでみてほしいです。

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