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未完成でいること

私は2年程前まで、完璧主義でした。
特に自分のことになると例えばこの投稿一つあげるにも、文章を作る段階で完成形になるように作るので、すごく時間がかかります。

何をするにも、一番初めから高クオリティで完成された物を作ろうとしていたので、取り組みはじめてもなかなか進まず時間がかかり、結局一日で終わらないことなんて日常茶飯事でした。

効率の悪さと短時間で終わらせられないもどかしさがいつからか生まれ、
とりあえず未完成でいいから最後までやり切ろうとやり方を変えました。

きっと、完璧(と言うより自分が完全に納得したもの)に最初からできない自分が、劣等感や自己嫌悪に陥る気がして嫌だったんです。

実際、とにかく一旦作る→改善を何度も改善を繰り返していくと、一度で完成を目指した時よりもちろんいいものができますよね。
結局、よりクオリティの高い物を作るために初めから完璧を求めるのは私にとっては非効率なのかなと思うようになりました。

そして、完璧をいつも自分に無意識に課していた私は、たまにどっとしんどくなる時がありました。

さらに、完璧は気づけば人にも求めてしまう自分がいました。


未完成な自分を認め許し、誰に対しても認め許せる自分になれたら、もっと心が穏やかになる気がします。

そうやって自分に、人に、やさしくなれた時、今日も私と関わった人が一人でも、穏やかな気持ちになったり、やさしい気持ちになってもらえたらすごく嬉しいから。

未完成は何もこわいものじゃない
むしろ、修正も効く、やさしさのある、ワクワクもするものかもしれない。

皆さんは今、自分にとってどんな人になりたいですか?

周りにいる大切な人にとってどんな人になりたいですか?

何かしんどいなら、今の自分からもう少し自分がたのしくなれるように、一つ自分自身の行動の方法を変えてみるのもいいかもしれませんね。

完璧じゃなくていい。

この文章もまだまだ未完成かもしれません。
もっと違う角度から見たり、色んな状況やパターンを考えて、矛盾がないようにどの視点から見ても納得できるものにするべきかもしれません。

でも、何度も何度も見直し、改良し、今の自分が納得したのなら、これが今の私だから。

未完成だからまた新たな発見があって、成長もある。

完璧だと思えば、それ以上考えることをやめ伸びることもない。

できない、こんな自分なんてと思うより、
できてることやこれからの自分の伸び代に目を向けられれば
完璧でないとけない自分とは、また少し違った自分に出会えるかもしれません。

未完成な自分も完璧かもしれません。





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