【呟】共感性を低くしたい。ライター編
ライター編、とタイトルに入れていますが、連載物ではなく
「ライターとして思った」というお話です。
縁あって、ライターをさせていただく機会が増えてきましたが、
「取材」は、とても緊張しますが、勉強になることばかりで好きです。
たいていの場合、取材のお相手をリサーチしたり、関連書籍やWebサイトなどを読むうちに、仕事や人柄に夢中になって、当日のお話でさらに「そんなことを考えて、そんなふうに生きてこられたのか!」と感動しています。
ただ、ライターが感動させるべきは自分ではなく読者。
相手を好きになりすぎると、いい質問が出ないな、と思います。
1つは「好きだから傷つけたくない」感情です。
通常のビジネスでも失礼のないように気をつけると思いますが、好きゆえにめったなことは言えなくなる、切り分けられなくなる状態が、壁となります。
もう1つは、「相手を認めすぎて疑問が浮かばない」という現象です。
例えば、あまり馬の合わない人と会話していると「え、私はそんなふうに思わないけどな」と心の中で反論したり、「そうなんだー」と言いながら首を振ったり、ということも、時折あります。
それが、相手を尊敬し、お話に感動していると「だったら、そうだよね」と肯定で終わってしまうのです。
「どうして?」「それはなんで?」が浮かばない。
これも壁になります。
そして、面白い記事はたいてい「え、そんなこと思ってたんだ」「知らなかった」という意外な一面によって興味関心を高めます。だから、好きと肯定、イエスマンじゃあ面白くできないな、と思うわけです。
とはいえ、否定できない気質がいきなり変えられるわけもなく、下準備すればするほど聞くことがなくなったり。
そういうときは、あえて言葉のよどみに突っ込む勇気を持つようにしたいと考えています。ちょっと歯切れが悪い時。ちょっと歴史がとんでいる時。
あとは、失敗談など。
なぜ?どうして?は意外と聞いてみなければわかりません。
本人もわかっていないかもしれない。
相手の全てを知った気にならないで、
ちょっとしたズレを探して、見つけて、詳しく話を聞いていきたいな、と思う日々です。
以上、夜中のつぶやきでした。ではまた
\ ここまで読んでいただき、ありがとうございます! /
🌸🌸🌸
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?