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「よくぞ言ってくれた!」に潜む危険~グループにおけるscapegoatingとは~

「よくぞ言ってくれた!」に遭遇する場面

みなさんはこんなことないでしょうか

ライブ会場でも、空港でも、スーパーでも、行列があったとします。

めちゃくちゃ長い行列に我慢しながら並んでいます。

何分も待っているのにいっこうに列は進みません。

みんなイライラ・・・(どんだけ待たせんのよ、、、)って心の中で怒りマックス。

すると、いきなり隣のレジがあいて、すっとそこに並んだおじさんがいました。

(えっ、待って?私のほうが先に並んでいたのに…)

するといきなり

「ちょっとあなた!!!!私達のほうが先に並んでいたのよ!なんで抜かすのよ!!!」

オバチャン登場。顔がもう、鬼のいきうつしのように怖い。

そして心のなかでは拍手喝采

(オバチャン、よくぞ言ってくれた!!!!!!!!!)

あるいは、こんなことはないでしょうか

例えば職場で、何か問題があったら上司に報告してくれる○○さん。

「あの、残業代がでないのはおかしいと思います」

「あの、喫煙するひとだけがたばこ休憩があるのは不公平だと思います」

「あの、これは問題ではないでしょうか」

私の職場にもいました。

カンファレンスで、声をあげて問題を取り上げてくれる○○さん。

心の中で拍手喝采

(よくぞ言ってくれた!!!!!素晴らしい!!!)って心のなかで思ったり、

カンファが終わった後、数人のスタッフがその人の元へ行って

「○○さん、その問題取り上げてくれてありがとうございます。私もそう思っていました」

みたいなやり取りがされる。

たぶん、読者の中にはオバチャンや○○さん側になるひともいれば、

(よくぞ言ってくれた!!)と心のなかで拍手喝采をする側のひともどちらもいると思います。

心の中で拍手喝采が怖いワケ

そう、実はこの(よくぞ言ってくれた!!)と心のなかで拍手喝采をすることには、グループダイナミクスの視点からすると結構恐ろしいことが隠れています。

この「あんた!列抜かしたわね!」って言えるオバチャンや、「問題だと思います」と提示する○○さんのようなひと、英語では scapegoat と言います。

Scapegoat、和英辞書によると「古代ユダヤで、人の罪を負って荒野に放たれたヤギ」のこと。

つまり、端的にいっちゃうと「いけにえ」という意味です。

いやいや大げさな・・・

オバチャンや○○さんの何が「いけにえ」なのよ、ってなりますよね

ただ、レジの件でいえばあなた自身も充分腹が立っていて怒りマックスだったのにそれを言わない。

職場においても、残業代はほしいし、不公平だなって前々からずっと思っていたし、全部自分がめちゃくちゃ問題に思っていたのにカンファレンスで提示しない

みんなの前で発言しない

その理由は多々ありますが

たぶん、私が言わなくても誰かが代わりに言ってくれるから

私も経験たくさんあります。

きっと、声をあげてくれるオバチャンがいるだろう

きっと、○○さんがカンファで代わりに言ってくれるだろう

そんな淡い期待に甘えてしまって、ついつい口をつぐんでしまうこと。

でも、オバチャンは声をあげたことによって横入りしたおじさんに「うるせー!ばばあはだまってろ!」なんて舌打ちされながら言われちゃうかもしれない

○○さんは上司から「あなたはいつも文句ばかり言うわね」なんて「クレーマー」のレッテルをはられてしまうかもしれない、

○○さんが発言すればするほど、しないひとたちの印象はどんどんあがっていく

みんな、本当はその問題を感じていたのに。

そんな非常に大きなリスクを抱えながら「いけにえになってくれている」とも捉えることができるわけです

これを知ったときは正直めちゃくちゃ心にぐさりと刺さった・・・

私はよっぽどのことが無い限り人前で意見を言ったり、「横入りやめてもらえませんか」なんて絶対言えないんだけど、

心のなかで拍手喝采(よくぞ言ってくれた!!!)って、そのひとをscapegoating(いけにえに)しながらグループのなかで自分のポジションを守り抜いていること、と気づいてしまった、、、

もちろん、正義感や、全くリスクを気にせずに発言するひとも中にはいるかもしれないけど、もし○○さんが「私が言わなきゃ・・・」と抱え込んでしまっていたら。

それはチームダイナミクスのなかで看過できない問題となる。

みんなの意見を代表すること、

みんなが感じている不満に声をあげること

それはもう、知らず知らずのうちにscapegoatingのリスクを背負っている、ということです

これを読んで少しだけ胸がちくんと痛むひとがいたら、

私も同じです

まずはちゃんとグループのなかにはそのリスクを背負っているひとがいるということをきちんと認識するのがスタート地点なのかな

どうしたらscapegoatingを避けることができるのか、考えていきたいですね

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