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茶色い食卓

世の中が殺伐として、流れてくる情報が全て極端で攻撃的になって、心底疲れたと感じたのが去年末だった。

私が無知であることや情弱であることは認めるし、何が正しいのかきっと誰もがまだ分からない状況であることは分かっている。
だけど、何を信じたらいいのか分からないことや、自分がどちらかと言うと守られた、恵まれた環境で生きられている一方で、追い詰められている人たちがいることが、つらかった。


そんな中で私を生活に繋ぎ止めてくれたのが、自炊だった。

始めたきっかけは一体何だっただろうか。正直意気込んで始めたわけではなかったので、あまり覚えていない。
でも、仕事がら帰宅が遅くなりがちで、時短営業の飲食店の閉店時間に間に合わなかったことは一つの要因だろう。
ある日、唐突にフライパンを購入して、私の自炊生活がスタートした。

断っておくが、私は別に料理が趣味ですといった類いの人間ではない。
今の家に越してきて2年になるが、最近までキッチンはただの水道としてしか使っていなかった。食材も調味料も食器も全く家には置いておらず、食事は全て外食かコンビニ飯だった。
料理経験が全くないわけではなかったけど、決して上手ではなかったし、何より手際が悪かった。だから、1人分の食事を作ることは、準備する・片付ける労力も加味して、経済的ではないというのが私の持論だった。

そしてそれは自炊生活を始めて約2ヶ月程経った今でも、あまり変わらない。
調理器具や食器、調味料を一式揃えるのはそこそこお金がかかった。疲れ切った身体で重い荷物を持ちながら買い物することは楽ではない。30~40分かけてやっと作ったものを10分くらいで食べてしまうという非効率さに目眩がする。

その時期に安く買えるものばかりを使っているし(この2ヶ月で何玉の白菜を食べたか知れない)、味付けのパターンが少ないから、変わり映えしない。正直飽きる。何かずっと茶色い。
不味いわけではないけれど、毎回おいしいと思って食べてるわけではない。

でも、お金と時間を非効率に使って、大しておいしくない食事を用意して、食べるという行為は、心底私を安心させた。
食欲も気力も湧かないくせに、冷蔵庫にある大根を消費するために手羽元と人参を買って、死にたくて堪らないくせに、明日食べるために煮込む。
思考が働かない頭でも、誰かが考えてくれたレシピ通りにぶち込めば、一応完成はする。
自分の中にある矛盾を決して否定しない、必ず何かしらのゴールには辿り着ける、その行為は絶対に自分にとって良いことである。
たとえお金や時間の無駄が多かったとしても、今の世の中なかなか得がたい安心を、私は自炊で得ていた。

明日の自分に栄養をつけるために今日買い物をする、食材を煮込むみたいなことが、死にたい夜でも、生きようとしている自分を再確認させてくれた。
昨日の残り物を食べる、さぼってしまった洗い物を片付けるみたいなことが、何もしてないなあと落ち込む今を、少しだけ打ち消してくれた。
何も無いと思っている日々がちゃんと繋がっていて、昨日も今日も明日も、自分が作ったものを燃料にして生きている。
身体も心もダメダメな状態でも、死にたいとか思っちゃっていても、私は自分の人生の手網は離していない、まだ諦めてない、と丸め込むことができる。


こんなことができたり、考えられているうちはまだ全然大丈夫、この程度でつらがるなという人も居るだろう。実際、私もそう思う。
だけど、この程度を1歩でも踏み外したら、自分の力だけでは起き上がれないことを私は知っている。その時は、たとえ1度起き上がれたとしても、長く尾を引くことを私は知っている。
だから、この程度の状態に踏みとどまるためにどうしたらいいかを必死で考えたし、どうしていいか分からなくて震え上がった日もあった。

そして行き着いた先が、「考えるより煮込め、お腹いっぱい食べろ」だった。

年が明けた時、私は3つの目標を掲げていた。
「文章を書くことを習慣化すること」、「友人に誘われた勉強会に参加してワークをやり切ること」。それはいずれも、自分の中にある死にたさを前向きなエネルギーに少しでも変換したいと思っていたからだった。
だけど1週間後には2つともできなくなってしまった。
身体が重たい、心が動かない、インプットを受け入れるキャパがない、何も思い出せないし考えられない。どうしようもなく情けない話だけど、掲げて早々に心が折れた。
反省はしているけれど、正直どうしようもなかった。

そういう時は、物理的に栄養を摂ること、無駄を慈しむこと、考えるのはやめて誰かの答えをそのまま丸写しして手を抜くことが大切だ。
その全てを満たしてくれるのが、私にとっては自炊だった。
身体に栄養を貯めて、心に余裕を持たせて、頭を休ませて。今私がこうして文章を書いているように、次に動き出せる時まで自分の生活を守る。
インスタ映えしない茶色い食卓が、止まってしまっていた私の中の歯車を、少しずつ動かし始めてくれた。

だから、3つ目に掲げていた「自炊の継続」は、達成できればいいなと思う。
というか、冷蔵庫の鶏肉は明日が消費期限だから、明日まではきっと継続できるだろう。
そんな日々がこれからもずるずると続いていってくれたら嬉しい。


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