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『愛がなんだ』の恐ろしさ

何年か前にパラパラと読んだ角田光代『愛がなんだ』が映画化されたのは2年前のことだ。
読書好きの友人界隈で話題になっていたし、成田凌さんが好きだった私も気になってはいたものの、映画館に行くほどの熱はなかった。
先日、公募に出すための文章を書くために何かBGMになる映画ないかなーとサブスクを漁っていたら、配信されていた。ストーリーは知っているから流し見にはちょうど良いやって、軽い気持ちで再生し始めた。
約2時間後、私は腹の底から震え上がった。

1.小説『愛がなんだ』/言語化される黒歴史…

文庫本の帯に書かれていた触れ書きは、「一途なアラサー女子の〈全力疾走〉片思いラブストーリー」。
主人公の山田テルコは、マモちゃんに恋をしている。マモちゃんから連絡があれば、仕事中でもお風呂中でもすべてを投げ出して会いに行ってしまう。テルちゃんにとってマモちゃんは最優先事項、そのせいで仕事もクビになる寸前。
だけど、テルちゃんはマモちゃんの恋人ではない。

小説を読んでいた頃、私は微妙な距離感にいる男の子に片想い真っ最中だった。
だから、テルちゃんの全身全霊の愛情表現も、それをやんわりと迷惑がられる姿も身につまされるものがあり、砕けそうなほど歯を食いしばって読んでいた。
彼からきた連絡にすぐに答えられるように、いつも全身をケアして、彼の好きな服・香水で固めて。
LINEを開いては閉じて、文字を打ってみては消して。
朝起きて何の連絡もきていないことに落ち込んで。彼を追い詰めないように、快適でいてもらうために、常に気を張って。
そんな男だめだよ、やめときなよ、と言ってくる女友達に、でもね、それでもね、と反論して。
私は角田光代に裏垢をロムられていたのかと思うほど、ゾッとするほど、身に覚えのあることばかりだった。
痛々しいテルちゃんは、紛れもなく私だった。

終電も終わった時間に一人で帰され、缶チューハイ片手に歩くテルちゃんには涙が出た。
もっと一緒に居たかったけど、面倒な女だと思われたくなくて言えず、一人で歩く夜道の冷たくて重たい空気がよみがえってくる。
彼にわがままを言わずに帰ることができた、という妙な達成感で自分を鼓舞しながら、素直にわがままが言えない寂しさに耐えて、一人で歩いていた私。

痛くて、健気で、惨めで、ちょっと可愛い片思い。
テルちゃんの「〈全力疾走〉片思い」は、共感できるなんて生易しいものではなかった。
一番痛いところを素手でべたべた触り、開けたくない記憶の引出しを容赦なくこじ開けてくる。
自分を投影してしまうのではなく、丸ごと自分事として、見たくないものを文章化され、客観視させられるような読書体験だった。

2.映画『愛がなんだ。』①/ナカハラくん

流し観のつもりでつけた映画も、何度もため息を吐かされた。
特に刺さったのは、テルちゃんの女友達である葉子ちゃんに片思いするナカハラくんが、葉子ちやわんを「好きでいるの、やめます」と宣言したシーンだった。

ナカハラくんは葉子ちゃんに全く相手にされなくても、気丈に振る舞い、葉子ちゃんの言うこと全部聞いて尽くしまくっていた。
自分のことを好きになってもらえなくても、「ふと寂しくなった時に呼んでもらえる距離に居られたらいいんです。葉子さんが「誰でもいいから誰か」って思った時に、思い浮かぶ「誰か」でいいんです。」と言っていた。
それでもやっぱり、「もう誰でもいいが、つらいんです」「幸せになりたいっすね」と、ナカハラくんは泣いていた。

その姿を見て、私は発狂した。
『愛がなんだ』なんて、割り切れないよね、と。

強く求めなければ、強く拒絶されることもないから、相手を失わずに済む。私もナカハラくんのように思っていた。
嘘をついているつもりはない、いや、本気だ。だけど、純度100パーセントで思い切れてるとは言えない。
絶対にそこには、強がりやら言い訳やらが含まれているんじゃないだろうか。
都合のいい女になっている状況に、世間に、何より自分自身に、何とか折り合いをつけるための「それっぽい理由」であることは否めない。

都合のいい女になるということは、時間やら身体やら名前のつけられない何かやら、消費して全力で相手に向き合って、恋人になれない以前に、人として信頼も尊敬もされないということだ。
その一瞬さえ楽しければいいと思いつつ、そう思う自分に、お前は人間扱いすらされていないんだよツバを吐きかけてくる自分が居る。
幸せを感じている瞬間はあれど、それを享受している自分を心底軽蔑もしてしまう。

拒絶されることより何より、その状態が長く続くことが一番苦しいし傷つく。
本当は、何の遠慮もなく真っ直ぐ愛してるって伝えたいし、「誰か」じゃなくて、一人の人として必要とされたいし愛されたいよね。
ナカハラくんは、やっぱり私がモデルなんじゃないかと思った。

ここで終わっていたら、何かエモい映画観たわ〜で終わっていたと思う。3日間くらい引き摺って、でもその後はよくある話よね、そんなこともあったよね、と流れてしまっただろう。

4.映画『愛がなんだ』②/テルちゃん

ナカハラくんの告白のシーンから、時間としては残り20〜30分程だったと思うけれど、物語は急カーブに入る。
私にとっては「全力疾走片思い」の話から、「怖い話」になっていく。
好きでいることをやめると宣言したナカハラくんを、テルちゃんは怒鳴りつける。

「好きな女のために身を引くようなこと言っちゃって」
「べつになんにもいらないって言ってたじゃん!ずっとツカイッパ要員のままでいいって!」

その時、様子がおかしいことにようやく私は思い至った。
テルちゃんは、マモちゃんへの片思いの中で苦しくなることや、ままならなさを感じることはあっても、決して不幸にならない。
ナカハラくんのような、一人の人として扱われていないことへの悲壮感がない。
私が吐きそう思いで観ていた夜道も、マモちゃんを優先しすぎて職を失ったことも、マモちゃんの好きな人(スミレさん)に会わされた飲み会も、スミレさんに疎まれて傷ついたマモちゃんと一緒に寝ることも、テルちゃんを少しも弱らせていない。

テルちゃんは心の底から本気で、「愛がなんだ。」と思っている。
マモちゃんに好かれなかった、都合のいい女として扱われた、彼女になれなかった、そんなことでテルちゃんの片思いは終わらない。そんなことでは終われないところまで来てしまっている。
テルちゃんはマモちゃんを失わなければそれでいいのだ。
テルちゃんにはもう一個人としての自分が存在している感覚がない。マモちゃんに疎まれている状況下においては、下手をすれば邪魔にさえなっている。マモちゃんとは違う、一人の人間として自分が存在しているから、マモちゃんを失う可能性がある。
それこそが、それだけが、テルちゃんの不幸なのだ。

遊ばれただとか騙されたとか騒いで男を刺すメンヘラ女よりもよっぽど狂ってる。出口のない袋小路に入り込んでしまっていると思う。
映画のラストに、テルちゃんの「私はまだ、田中マモルではない」というモノローグが流れた時、背筋が凍る思いがした。
人が人でなくなる様をありありと見せつけられたようだった。

5.自分を幸せにするために生きたい

小説を読んでいた頃に好きだった彼とは結局うまくいかず、1年ほど続いた片思いがフェードアウトしてから少し経った時、私は大量の服やコスメを捨てた。
観に行きたいねと話していた映画がサブスク解禁になったので、一人で観て、つまんないなあと感じた時、ふと思い立ったのだ。

部屋を見渡すと、そこかしこに私が彼を好きだった断片があった。
彼の趣味に少しでも近づきたくて買った小花柄のワンピース、むっちりとしたコーラルピンクのルージュ。
いい匂いだねと褒めたくれた香水、結局ドタキャンされたデートに着ていこうと思って買った襟付きのブラウス。
どれもこれも、全然私の好きなものじゃなかった。
彼と一緒に居られて幸せだった時間があり、一緒に居たいと思い続けた私が、確かに息づいていた。
だけど、そこに大切なものは何一つなかった。

私は私じゃないものになろうとしていた。それも、全く好きじゃないもの。
私の気持ちなんて、私なんて、どうだっていいから、彼に近付ける・彼のそばに置いてもらえる何かになりたかった。

彼を好きだった頃の私はどうかしていたし、ほとんど化け物の地雷女だった。
忙しいからと言って二人では会ってくれなかったのに、みんなで飲もうという会にはあっさり来た彼を見て、その場で泣き出したりした。
休日の朝早くにノーアポで友人宅に押し掛けて泣きついたりした。
自分を制御できなくなって、自分の在り方も、それが周りの目にどう映るかも全く考えられなくなっていた。
化け物以外の何物でもない。

好きな人を好きな自分・好きな人と一緒にいる時の自分を好きになれない時、きっとどこかに歪みが生じている。その歪みが、人を化け物に変えてしまう。
そして、化け物と付き合っていきたい人間はいない。恋人になれないどころか、下手をすれば友達も失くすことになるだろう。(あんな迷惑をかけたにもかかわらず、縁を切らずにいてくれた某友人には感謝しかない…。)
自分のことながら、恐ろしいことだと思う。

たまには化け物になるのも悪くないのかもしれない。それこそ、若さの特権というか、罹っておいた方がいい病気というか。
だけど、私は、自分で自分を軽蔑する生き方はしたくない。
好きでもない、似合ってもいない服は着たくない。友人とは胸を張って会いたいし、思い切り笑い合いたい。
自分にとって大切なものをちゃんと大切にして、面白おかしく生きていたい。
私は、もう化け物にはなりたくない。


テルちゃんは、「幸せになりたいっすね」と言ったナカハラくんに「うっせえばーか」と言い放った。
そうなのかもしれないけれど、気持ちは分かるけど、それじゃダメなんだ。
私は幸せになりたい!って言える人になりたいし、何が自分の幸せなのかを見失わずに在りたいと思う。

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