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お経とクラウトロックとカン

お経

個人的に、音楽を定義するものは反復であると思っている。反復が起こるとリズムが生まれ音楽になる。楽器を問わず、もしくはそれが(一見)楽器か楽器でないかにもよらず、ギターのボディ、辺りの机や壁をなんらかのパターンで反復して叩けばよい。叩き方や叩く対象、叩く道具を工夫すれば音階の概念が生まれる。定義から、お経は音楽である。馴染みの寺の住職が法事で木魚を叩きながら経を読む背中を視界の端に、配られた経本(=歌詞カード)を全員で見つめている。時折鳴らされる鐘はドラムのシンバルであり、小節のまとまり区切りをわかりやすくしてくれている。日本で一般的に想像するお経とそのセット(木魚と鐘)は非常にシンプルかつ抑揚も一定で没入しやすい。それが声明(しょうみょう)の形となると一気に(一般的な)音楽の様相を取る。これはゴスペルに近い。

また梵唄(ぼんばい)という形を取ることもある。お経が歌詞であるのは声明と同様であるが(音楽の)ジャンルとしては別物であり、インドをルーツにした民族音楽の色が比較的濃い。梵唄は中国語であり仏教はインドから日本へ伝わったものであるため、例えば韓国においても同様の梵唄が「歌われ」、国ごとの違いを楽しむことができる。

個人的にチベット密教を推薦しており、経を唱える低音は倍音(ホーミー)を混じえ表現力と迫力に富んでおりホルンをも含めた比較的多様な楽器によって展開される1時間を超える一曲は一聴すると別世界にトリップすることができる。その他世界中で単純な繰り返しから成る音を使った様々な行為(呪術、儀式等)が見られそれぞれが現代の音楽の直接的な源流となっている。

クラウトロック

反復をキーワードにする現代の音楽には例えばミニマルミュージックがありスティーブライヒやフィリップグラスが有名であるが、より身近なロックミュージックの文脈で有名なものがアモンデュール、カンやクラフトワークを代表とするクラウトロックである。戦後(西)ドイツの荒廃しつくされた文化は経済が復興した1960年代にいたっても再建されないまま、アメリカやイギリスから流れ込んだ音楽がメジャーな人気を博しビートルズはその頂点に立っていた。その状況下でドイツ人ミュージシャンの一部が持っていた自らの文化への渇望は、彼らの多くが持つ現代音楽やフリージャズなどの音楽的背景、エレクトロニクスの発展、サイケデリックムーブメントの波と一緒くたになり、西ドイツの各都市、ミュンヘン、ケルン、デュッセルドルフ、ベルリン、ハンブルク等で後にクラウトロックと呼ばれる形で現れ始めた。クラウトロックの名称はイギリスのジャーナリストによりドイツの伝統的なキャベツの漬物ザワークラウトに因るやや蔑称的なニュアンスを持って名付けられた。その意味合いは「ドイツ人のロック」であるためジャーマンロックとも呼ぶ。サイケロックの文脈から前述のお経を含めた東洋への興味を伺うことができる。最初期の多くの作品は長尺なエレクトリックサウンドを多用した実験的音楽で、当時隆盛だったブルース要素は慎重に排除されオリジナリティを確立する一助となっている。その実験音楽的な姿勢から広義のプログレッシブロックの一部として捉えられジャーマン・プログレというジャンルで括られることもあるがあくまでジャンル分けであり音楽性が似ているというわけではない。むしろイギリスで多く見られたシンフォニックプログレをキッチュと評したり、音楽だけでなくスコープを周辺のアートにも向けるなど実験性以外の姿勢にはあまり多くの類似点はない。西ドイツのそれぞれ主要都市ごと主なバンドを列挙すれば、ミュンヘンにアモン・デュール(I、II)、ポポル・ヴー、ケルンにカン、デュッセルドルフにクラフトワーク、ノイ!、ハンブルクにファウスト、東ドイツに飛地として存在したベルリンにアシュ・ラ・テンペル、ハルモニア、レデリウス、クラスター、タンジェリン・ドリームなどが1960年代後半から1970年代前半にかけて発生した。当時のドイツの文化的状況と絡めたクラウトロックの解説に関しては『フューチャー・デイズ──クラウトロックとモダン・ドイツの構築(ele-king books) Tankobon Softcover – June 22, 2016』が詳しい。

カン

クラウトロックを冠するバンドには上記のように多くのバンドが存在しそれぞれに特徴を異とする。クラフトワークは初期こそバンドサウンドであったが完全に電子化され反復とエレクトロニクスから想像されるように今日のテクノ・クラブミュージックの祖となっている。タンジェリン・ドリームは同様に電子音楽であるシンセサイザーやシーケンサーを利用した構成ゆったりとした展開からアンビエントミュージックへの影響が大きい。そういったバンド群の中でカンはクラウトロックのキーワードとなっている反復を最もわかりやすい形で特徴として持つ(ためここで特に取り上げる。ダモ鈴木脱退後は数年を除き割愛する)。バンドが従来のロックバンドの構成(ギター、ベース、ドラム、ボーカル、キーボード)の形を取っていることで音楽性のオリジナリティもわかりやすい形で出ている。主なメンバーはホルガー・シューカイ(ベース)、ミヒャエル・カローリ(ギター)、ヤキ・リーベツァイト(ドラムス)、イルミン・シュタット(キーボード)の4人だがここに2人の人物が時期をずらしてボーカルとして参加した。マルコム・ムーニーとダモ鈴木である。クラシックの教育を受け指揮者として頭角を現していたイルミン・シュタットが現代音楽への感心からシュトックハウゼンに師事し人脈を広げ、ニューヨークで出会ったヴェルヴェット・アンダーグラウンド等アンディ・ウォーホル周辺のミュージシャンや現地の現代音楽家から影響を受けて帰国後同じくシュトックハウゼンの講座に参加していたホルガーにバンド結成をもちかける。さらにホルガーはミヒャエルに、イルミンはヤキに声をかけ、カンは早速イルミンが請け負った映画のサウンドトラック作成のため1968年に始動した。(正確には最初のボーカルであるマルコム・ムーニーが参加するまでデヴィッド・ジョンソンが在籍したため、始動時は5人。)

同年アメリカから放浪してきたマルコム・ムーニーがケルンに流れ着き、スタジオで突然歌い出した瞬間にカンのひとつの形は完成する。その後ファーストアルバムの「モンスター・ムーヴィー」を1969年にリリースした。そのB面を1曲で占める「You Doo Right」は反復を全面に押し出したカンの代表曲の一つである。その後マルコムは精神的な問題によりカンを脱退し祖国へ帰国する。ボーカルを失ったカンではあるが1970年に同じく世界を放浪している途中路上でパフォーマンスをしていたダモ鈴木(鈴木健二)を見つけその日のライブにボーカルとして参加させた。1973年にかけて「サウンドトラックス」、「タゴ・マゴ」、「エーゲ・バミヤージ」、「フューチャーデイズ」をリリースしたこの時期がカンの全盛期と呼ばれる。全アルバムに徹底して見られるヤキの一貫した反復リズムに浮遊する上モノとダモ鈴木の語りに近い歌が乗る。「フューチャーデイズ」は「完璧な作品」と評されたがダモ鈴木はツアー終了後のスタジオセッションの最中突然外に飛び出たまま戻らず脱退した。このカン始動から歴史的経緯に関しては『カン大全──永遠の未来派 (ele-king books) Mook – October 31, 2020』が詳しい。

ダモ鈴木の脱退からカンはボーカルを見つけられずインストバンドの色を濃くする。以前からライブで即興演奏により全く同じ曲を2回と演奏したことはなくこの傾向もより強くなっていく。こうしたライブによって曲が新たな色を得るバンドとして珍しくカンはまともなライブアルバムをリリースしたことはなかった。Pitchforkには ”As legend has it, any time Can set out to make a professionally recorded concert document, various technical snafus would scuttle the results.”(https://pitchfork.com/reviews/albums/can-live-in-stuttgart-1975/) と書かれているが真偽としては定かではない。2021年にブートレガー(アンドリュー・ホール、詳細記事: https://www.nytimes.com/2021/05/11/arts/music/can-live-albums.html)が所持していた1975年に(密かに)録音されたライブ音源を現代の技術でイルミン監修でリマスタリングしたアルバム「LIVE IN STUTTGART 1975」がリリースされた。ところどころにフレーズを散りばめたジャム演奏は一曲が10分以上続きそれぞれのメンバーには自由しか与えられていないが統率された展開が続く。カンは2020年には全アルバムがリマスターし再リリースされ、2021年にはサブスクリプションで解禁されライブアルバムもすでに2弾目「LIVE IN BRIGHTON 1975」がリリースされている。

影響

当時アメリカやイギリスでは隆盛を誇ったブルースロックへの飽和感が蔓延しだしておりドイツで興味深い動きがあることはいち早く察知されクラウトロックとカンは主に海外で人気となった。その音楽性は多くの後進バンドに影響を与えソニック・ユース、ステレオラブ、レディオヘッドや他にも多くのパンク・ニューウェイブ・オルタナティブバンド、日本ではオウガユーアスホール、ゆらゆら帝国、コーネリアスなどが挙げられる。カン単体で見ても多くのジャンルに根源的影響を与えたがクラウトロック集合体としての影響範囲はそれより大きく今日の音楽全体に寄与している。そうした一つの音楽の発生が文化的焦土と化した1960年代ドイツで起こったことはあまり広く知られていないが、第二次世界大戦が終わりナチスが解体された西ドイツで数十年後に新しく生まれた若者たちがナチスと親世代とアメリカ帝国主義にどういう感情を抱き、その新しい音楽が生まれる土壌となったかに関しては上に挙げた文書で読まれるとおもしろいかもしれない。

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