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ねじまき鳥クロニクル 第2部 予言する鳥編 1〜10迄【読書感想文#2】

『ねじまき鳥クロニクル』を少しずつ読み進めています!

第2部の途中、

10 
『人間の死と進化についての笠原メイの考察、
 よそで作られたもの』

まで、読みました!!

ここで、心に残ったことがあったので忘れないうちに文章に残しておきたいと思います!

奥さんが、失踪してしまった主人公の『僕』は考えて事をするために、空家の庭にある井戸の中に梯子で降りて行くのです!!

井戸のなかで、いろいろなことを考えたり眠って夢のようなものを見たりするのですが、

眠っている間に、近くに住む少女「笠原メイ』に梯子を取られてしまい井戸から出られなくなってしまうのです!!

井戸の上にいる「笠原メイ』と井戸の底にいる『僕』はいろいろな話をするのだけど、

その中の、笠原メイのセリフ【言葉】で心に刺さるものがありました!

要約すると…

『もし人間が死なない存在で、永遠に元気で生きていけるものだとしたら、人間はそれでも、私たちがやっているようにあれこれものを考えるのかな?哲学とか、心理学とか、論理学とか、あるいは宗教、文学!そういう種類の思考とか概念は死というものが存在しなかったら、地球上に生じてこなかったのではないか?』

『つまり』

『自分がいつかは死んでしまうだとわかっているからこそ、人は自分が生きていることの意味について真剣に考えないわけにはいかないんじゃないのか?いつまでも同じようにずるずると生きていけるのなら、誰が生きていることについて真剣に考えたりするのか?』

『もしも仮に真剣に考える必要があったとしても、「時間はまだまだたっぷりある、またいつかそのうち考えればいいや」ってことになる。でも実際はそうじゃない。私たちはいま、ここでこの瞬間に考えなくちゃいけない』

『だから私たちが進化するためには死というものがどうしても必要なのよ。私はそう思う。死というものの存在が鮮やかです巨大であればあるほど、私たちは死に物狂いでものを考える』


長くなってしまいましたが、この言葉って(ちょっと直接的すぎて、乱暴な言い回しな気もするけど)確信をついていることだと思います!

有限だからこそ、限りある命だからこそ、必死になって考えて、少しでも輝こうと頑張って、生きる意味を探していけるのかなって思いました!

ぼくは、ずっと長い間いつかは終わってしまう命なのに、なんで頑張れるんだろう、頑張る意味ってなんだろうと、心どこかで考えてしまうことがありました!

でも、最近は少しずつ違うのかもって思うようになってきていたように思います!

そこに、今回『笠原メイ』の言葉が刺さり、

『そういうことかっ!』って、分かったような気がしました!!

なんだか、うまく言えないのだけど分かったような気がしたのです!!(ちょっと違うかもだけれど…)

いつかは、終わってしまう命だからこそ、今を一生懸命に生きることが大切なんだ!考えて考えて、今を生きることが大切なんですね!

だから、成長していけるんですね!

がんばろー!

がんばっていこー!

そんなことを、考えた帰宅中、電車のなかの僕でした!!

これからも、少しずつ読み進めていきます!

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