板チョコとTwitter

ずっと言いたいことはTwitterで呟いていたけど、なんか距離を置きたくなったのでnoteに移行してみる。

ちょっと前にブリュノ・パティノ『スマホ・デトックスの時代』を読んで、漠然と「人の承認欲求に付け込んで広告を見せてバカみたいに儲けてるTwitter社、ムカつくな」って思ったり、勢いでタイムロッキングコンテナを買ったりした。世間の流行とかには何かと逆張りするけど、それでいて何かと影響を受けやすいこと。

そもそも現代に生きる以上承認欲求との戦いは常についてまわっていて、敗北したから今日もまた、スマホを見て空疎な時を過ごしたり、今こうして駄文をインターネットの海に投じて、誰かに読まれることを願っている。

共通テストまであと50日もないことが信じがたい。未だにだらだらと数学を解き散らかしたり、生物基礎の参考書をパラパラして「免疫ってすげ~」とかぼやいている。
誰も自分に引導を渡してくれない悲しさだけがちょっとずつ大きくなっていて、点数は1年前からぴくりとも動かない。

ルームウェアとしてウルトラライトダウンを買った。部屋には暖房がなくて、ずっと限界を感じていた。
初めて袖を通して、「え、こんな僕でも温まっちゃっていいんですか」って思わずヘラヘラした。満足した。

チバユウスケって、なんであんな男くさいのに冬が似合うんだろうとずっと考えている。ROSSOの『シャロン』とかThe Birthdayの『涙がこぼれそう』とかに通底するエモーショナルさが、良い。現代の「エモい」曲は、そのカテゴリーに自覚的すぎる気がして、めちゃくちゃ良いのにはまりきれないなあとか思う。

板チョコってたまに食べるとすごい美味しい。価格とか量じゃなく、なんか贅沢。あんなの一気に食べたら肌に悪いし、味は濃いし、殴られてる感じがする。Twitterとか板チョコとか、何か逆らえない巨悪(極めて個人的な見方で)に屈服させられるのは、ダメすぎる。インスタントな快楽。

メルカリ楽しい。あの楽しさについて適切に言語化してくれる人を求めてる。

「言いたいことが多すぎる!どこかに排出しないと」と思っていたのに、いざ書いてみたら大してなくて、全部どこかの誰かが言っているようなことだった。陳腐な、借り物の言葉や思考から脱却したいということだけは本当に諦めたくないんだけど。

やっぱ勉強できる人には、まだちょっと憧れがあります。正直。僕の脳にはシナプスが全然ない気がする。もっとコネクティング・ザ・ドッツしたい。手と手があるなら、繋いだ方が良いのになー。世界平和とバイトの自給アップを願っています。


24時間戦えるわけなくて、朝/夢に見た鳴き叫ぶパルキア

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