M-1/スポーツ

今年のM-1が終わった。
カベポスターは本当にトップバッターだったのが悔やまれるなと思った。永見さんの敗者コメントが良かった。
真空ジェシカのキャッチフレーズ「アンコントロール」がめちゃくちゃ端的にコンビを表していて好きだった。

【徹夜しようと思いコーヒーを淹れるも飲みほす前に寝てしまい、起床して徹夜に失敗した絶望にさいなまれながら飲む前日のコーヒーあるある】

人生の味がする

「ああ、小学生からサッカー部に入っていたら今ごろ……」という妄想に憑りつかれることがある。
どうやらサッカー部なら人生は楽しいだろうと思っているらしい。
こういうコンプレックスに立脚した考えを捨てないと社会生活はままならないだろうなと思いつつ、「まあこういうとこも含めて自分だな~」とか思っているのがタチ悪い。
ネガティブを貫いた先にばかみたいなポジティブがあるの、ダメ人間の特徴だと思う。文章にすると僕はとても自虐的で、でも一方で多くがポーズなのかもしれない。よくわからない。

スーパーのお買い得品を買うことでせめて社会へ貢献したつもりになっていたが、今まで「お買い得」を謳っていた賞味期限切迫品を、最近になり「フードロス削減」に変えた店が増えていることに気づいた。
サイレント屈服を発見した。

山下達郎の楽曲はサブスクに来ていなくて普段聴けないから、この頃は街中で盛んに流れていて楽しい。

スポーツ観戦に熱くなれないとずっと思ってきた。
だけど今年は僕の好きなM-1グランプリとサッカーW杯の時期が重なっていて、何か少し腑に落ちた気がする。
真空ジェシカが2番手に決定した時は悔しかったし、さや香が流れも味方につけて王道漫才で高得点を取ったときは「そういう展開か…」と思った(野暮なことを付すが、当然さや香の漫才は最高だった)。
そうして、M-1によってある人におけるスポーツと同じように「他人の努力によって感情を揺さぶられて」いたと気づき複雑な気持ちになったが、決勝の終了後に結果への喧々諤々などを目にして、自分は他人の努力の結果に心動かされるのは良いが、「他人の結果に文句をつける」のが不快なんだなと気づいた。
M-1の結果云々にお気持ち表明をしている人間は元から醜いと思っていたが、同様にスポーツ観戦に熱い人にも大きく「感情を揺さぶられている人」と「結果に文句を言う人」の二種存在することが理解できていなかった。
詳しくない人間の体感ではあるが、M-1などに比べてスポーツは「文句(≒時として厳しいこと)を言うのも愛であり、チームを強くすることに繋がる」といった論調がまかり通っているように思う。
それに賛同できないんだなと分かった。
テレビ番組を観ても、人生は変わらない。
僕の感情を揺さぶった努力は決して僕のものではない。

カラオケ行こう。親子丼食べよう。

昨日があんまりうまくいかなかったとしても、今日があるの最高すぎるな。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?