初、note

日々雑文日記を始めてみようと思う。
インプットが時間の8割以上で、

これではいかん!

ともやもやした気持ちが沸々と。アウトプットの割合をどうにか増やしたいと思って、家族、友人にインプットしたことと日常生活をリンクさせて話してみても、嫌な顔をされる。

そりゃそうだ。私が話したいことであり、相手が聞きたいことではない。また相手が聞きたくなるような話し方、話の持っていき方の能力を持ち合わせているわけでもない。いつかは相手の脳をインストールして、相手に合わせて自分の話す内容を決めて、話せる能力を身につけたいと思っている。

なので、私が話したいこと、思ったこと、感じたことを言語化して、どうにかモヤモヤした気持ちを晴らしたい。

そうだ、勝手に独り言を言っていればいいんだ。

ノートに書く方法もあるけど、自分の字の汚さにテンションが下がるので。

FacebookやTwitterなどもあるけど、気が進まないので。

noteはこの一年で利用者数が数倍に爆上がりしたみたいなので。間違っていたらごめんなさい。

根拠としては弱いですが、やりたいと思った勢いでnoteを活用させていただいて、自分の感じたことを言語化してみようと思います。

最近、ぎっくり腰になってしまい、、、痛い痛い。

今日も整形外科に行ったときの一場面。

5歳くらいの子どもを抱えた親子がいて、子どもがギャン泣き。
「子どもがどこか怪我でもしたのかな?」

でも、どこかを痛がる様子もない。しかしながら、ギャン泣き。

「お母さんが医者に行こうと言って無理矢理連れてきたのかな?」

子どもの話している言葉を聞いていても、怖いとかヤダとか言っている様子は見られない。

ずっと泣いている。かれこれ、私が来てから20分くらい。だから、もしかしたらもっと長い時間なき続けているのかもしれない。

整形外科に来ていたリハビリのお婆ちゃんたちは心配そうな顔。子育て中の私も、流石に泣きすぎだろうとちょっと心配。

その様子を見ていて、思ったことが。
どうして、こんなに子どもは泣き続けられるのか。

私だったら途中で疲れて泣くのをやめたくなる、泣くのに飽きて泣くのをやめたくなる。

んー。かれこれ30分くらい泣いているな。

これは大分腹筋も痛くなるぞ。
泣き顔を続けすぎて、表情筋も痛くなるぞ。

んー。これか。

子どもが泣いているのに、理由なんてない。

「泣いて、お母さんが私に話しかけたり、あやしたりしてほしい。」

「泣いて、私がご機嫌斜めだということを分かってほしい。」

「泣いて、このもやもやした気持ちを晴らしたい!(noteを書いてる私と同じ?)」

子どもが泣いているのは、何か目的があるからじゃないか、アドラー心理学でいう原因論ではなく、目的論で行動を起こしているんだという、あれ。

30分もかけて泣いているのは、目的があるんだ。

子どももその目的達成のためには必死なんだ。

と思うと、第三者である私(整形外科に来ていたお婆ちゃんたちも)は、少し余白をもって、その空間にいることができるなと思った。

子どもは上記の目的達成のために必死なんだから、周りにいる私たちは何ができるかな。
(悪い例)
「もううるさいな!なんで泣いている子ども連れてくるの!怒」

そのお母さんを睨みつけるような雰囲気を体から噴出

お母さんはますます焦って、子どもに八つ当たり?不適切な行動をしてしまう

ますます、子どもは泣きわめく

(こうなると良いなと思う例)
「子どもはもやもやした気持ちを晴らしたいために泣いているのかな?」

子どもの目的達成のためにできることは何かな?と考えてみる(周りとして)

よし、少しにこやかな雰囲気を目の周りの表情筋を使ってやってみよう。自然に

お母さんもここなら大丈夫かなと安心して、ゆとりをもち、子どもへの対応を考えられるようになる

子どもが起こしている行動を性善説に立って観察してみる、目的があって行動しているのかなと考えてみる、自分にできることは何かと考えて、行動してみる

周りの人にとっても、行動は目的論から考えることは、「自分にできることはないか」と今できることをポジティブに考えられるようになることにつながるのではないか。

と、整形外科での一場面で感じたところです。

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