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社会見学雑文日記 #自負することの大切さ

今日は冬の寒空、雨や雪が降っていなかったので、庭で焚き火をした。子どもも帰ってきて、おやつ作りして、野遊びを楽しんだ。良い時間だった。

そんな1日を過ごしていた中、子どもがしきりに「硬筆大会で良い賞取ったんだ!だから、次はもっと良い賞を取る!」
と家で話している。
数えきれないほど、話している。

相当嬉しかっただな。

その様子があまりにも異常行動すぎるくらい、言いまくっているので、少し考えてみた。

子どものエネルギーになるものは何だろうと。

①一つ大きいのは、賞があるもので特別な賞を取るなど、競争で上に位置したとき。

②他にも、そのこと自体の楽しさ。例えば野球でスコーンと打てたときは気持ち良い、それ自体が楽しいことなど。

③誰かからの称賛を受けたとき。例えばお母さんに褒めてもらって嬉しいなど。

④ご褒美がもらえるとき。例えば、やり遂げたら100円もらえるなど。

⑤負けたときの悔し涙、などなど。

どれか1つとかではなくて、複合的に行動のエネルギーを得ているのではないかと思う。

特に①について考えてみたい。

結論は、子どもの頃に他人のモノサシで自分の行動を決める癖をつけてしまうと、大人になって息苦しさを感じやすくなる。自分のモノサシ(多くは、五感などのセンサー)をブレずに持つことが大事である。

部活動で県大会で優勝したとする。
もうそれは嬉しいことでしょう。

どうして、そんなに嬉しいのか。

努力が報われた、仲間と喜びを共有できたなど理由は1つではないと思うが、私はこの一点も大きな理由になるのではないかと思う。

自分が希少な存在であると認められたこと。

県で1位は、もちろん1人しかいない。
音楽コンクールで金賞を取ったのは、県で数校しかない。
M1で今年優勝したのは、錦鯉しかいない。

そういった見方で、自分しかいない、もしくはそんなに多い数いないうちの1人だということに、エネルギーが充電され、次なるステップへと進む。

特に子どもは、この分かりやすい指標で一喜一憂することが多い。

自分ではない他の誰かが決めたモノサシで、希少価値を味わうのである。

当たり前だが、このモノサシが一般化されているため、他の人の賞賛を得やすい。だから、またエネルギーに変換される。

一見良いように見える、このショーレースでの点の取り合いは、危うさがあると日々感じている。

大人になってからは、コンクールや部活動のように競い合って、勝って、希少価値を感じる場面が子どものときみたいにたくさんあるわけではないからだ。(コンペなどで競合に勝つなどはあるかもしれないが)そして、細々としていたり、内容の難易度も様々であることも多いため、周りもいちいち反応しきれないことも多々見られる。

子どものときに、良い賞に入ったなどの承認をベースに行動を決定することが習慣化されてしまうと、大人になって、

「誰も私のことを認めてくれない、褒めてくれない」

ということになりかねないのである。

上司も同僚も、いちいち反応しきれない。

要するに、他人のモノサシで測った基準で自分の行動を決める癖をつけていると、大人になって息苦しくなってしまうのだ。

どうすればいいのかは、自分のモノサシ(多くは、五感などのセンサー)をブレずに持っていることだと、月並みながらに思う。

ここで大事になってくる言葉が

「自負」

だと思っている。

自負をどれだけ語れるか。

このことが僅かながらに希少性を生み、行動のエネルギーになる。

「私は、妻の良き理解者であると自負している」
「私は、迅速な行動ができると自負しています」
「私は、AtoBで、活かせる技術を考える力があると自負しています」

子どもの様子が、あまりにも良い賞を取ることに躍起になっているので、賞のこととは関係のない場面で「自負」を考えるような話を親子ができたらなと思っています。

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