読書感想 自分と自分の間にあるもの
自分と自分の間にあるもの
はい?何、訳の分からんことを言っているのだ?
自分は1人でしょうよ。自分と自分の間なんてないでしょうよ。
それがあるように感じられて仕方がない。
幽体離脱している自分がいて、物理的に肉体のある自分がいて、、、
大分ヤバい感じのnoteになってきた。
この時点でかなり気持ち悪いですよね。
だって、読書してたら、そう思ってしまったんですもん。
そのまま続けます。
幽体離脱している自分を「心」と名付けよう。
物理的に肉体のある自分を「体」と名付けよう。
この「心」と「体」は、どちらも自分である。
どちらが本物で、どちらが偽物なんてものはない。
まず1つ目にインパクトを与えたのはこの点である。
待て待て!
と、当たり前のことを言っていると思った方。その通り。ただ当たり前のことをゆっくりと話しているだけである。
しかし、見落としがちなのが、この「体」の部分。
体は、関係性によって変化する、という点である。
例えば、関係性がうまくいっていない先輩と話していて、うまく話せない自分がいる。
反面、関係性が良好な同僚と話していて、自分の言いたいことが言えている(気持ち良くなっている)自分がいる。
このシチュエーションのときに、「前者は本当の自分を出せていない、後者が本当の自分を出せている」と認識しがちであるが、そうではない。
どちらも自分なのである。
これは、「私とは何かー「個人」から「分人」へ」の中の分人主義という概念が基となっている。
つまり、他者によって引き出される「分人」の集合体として、「自分」という個人が存在するのである。
私は、これらの考え方は上記でいう「体」での現象だと思った。
幽体離脱しているような感覚の「心」も自分であると思っている。
この「心」と「体」の間にあるものが、いわゆる「環境」と呼ばれるものなんだろうと思う。
環境は、物理的なものもあれば、心理的なものもあると考える。
・対人関係(関係性) → インパクト大
・書籍
・心が動く経験
・バイアス(認知バイアス・生存者バイアス・ハロー効果など)
・物語(小説・映画)
・過去(意識化のあるもの)
「心」から環境を通り「体」へ。
環境の存在を知ること、「体」の状態を見ること、
これが観察力を磨くことの一つだと私は解釈した。
付け加えると、環境を変えていき、居心地の良い自分を探り、その分人を増やしていくのが、生きやすくなるコツだとも本書で紹介されていた。
これを聞いて思い出すのが、蒼井優さんの言葉で、「『誰を好きか』より『誰といるときの自分が好きか』」がある。
その環境に身を置くのかの重要性を強く感じる。
最後のインパクトが、
「我々は孤独だ だが一人ではない (We are lonely,but not alone.)」
宇宙兄弟のエディのセリフだ。
このセリフと、自分と自分の間にあるもので書いてきた内容がリンクする(勝手にリンクさせている笑)
幽体離脱している「自分」が「孤独」を表している。
物理的な肉体のある「自分」が「一人ではない」を表している。
どちらの自分も自分であることを自覚し、観察力を磨いていきたいなと思っている今日この頃である。
ちなみに、今日の書籍は、前回同様「観察力の鍛え方 佐渡島庸平著」である。
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