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社会見学雑文日記 #有馬記念

昨日は有馬記念でした。エフフォーリア強かったなー。
「強い馬がやっぱり強かったー」
そういった姿が観れるのは、とても嬉しいことだとしみじみ思う。

大谷翔平はやっぱり凄かったーと同じくらい。

ちなみに、今まで見てきた競走馬で1番好きな馬はダイワスカーレット。
この馬は一度も連対を外したことがない。
「やっぱり強かったー」を初めに感じさせてくれた馬だ。

昨日の有馬記念で思ったことがあったので、まとめておきたい。

それは、勝利ジョッキーインタビューの一コマ。
鞍上は、もちろん横山武史騎手である。

冒頭で、「昨日の騎乗停止もあり、心から喜べないのが残念です」と述べた。
続けて、「不甲斐ない騎手」「すみませんでした」とインタビューで話していた。

競馬では、ダービーの次くらいに、みんなが夢見る有馬記念で勝ったにも関わらずに、反省の弁を述べていた。

そして、1日経ったニュースのコメントには、「横山武史騎手の素直さが光った」「その素直さが能力を上げてくれる、まだまだ伸びるぞ」といった声が出て殺到した。

僕は、この一件はいかがなものかと苦言を呈したい。

横山武史騎手のインタビューを見て、競馬に対してとても真摯に向かっている人なんだなと思った。お父さん、横山典弘騎手の話している言葉もすごく重厚感のある言葉を使われている。そのような家庭環境で育った武史騎手は、昨日の騎乗停止は相当反省したのだろう。

それでもやっぱり大舞台で勝ったわけなので、喜びの言葉を述べても良かったのではないかと思う。少なくとも、笑顔がなかった、最後の「すみませんでした」は、そんなこと言わないで!という気持ちになった。

それを全面後押しをする世の中に、そうじゃないよなという気持ちが強くなった。

海外をよく知っているわけではないが、日本の特質として、「完全、完璧であれ」の精神が根強いのではないかと思う。

今読んでいる「人に迷惑をかけるなと言ってはいけない 坪田信貴著」に書かれている、拮抗禁止令の一つ目である。

ここにも書かれているように、過度になると、その人自身を苦しめてしまうことはよく分かる。
1度の失敗をずっと引きずり、十字架を背負って生きていく。そんな人生が幸せに向かうとは思えない。

本人が反省する分には良いと思う。その失敗をどのように生かすかは本人次第であるからである。

しかし、周りが反省すべきと咎めるのは違うと思う。「あいつはこんな失敗をしたから喜ぶべきではない」と非難するのは、本人を苦しめる一方だ。教える、指導でも何でもない。ただの思ったことの垂れ流しである。
人のことを評価すべきではないという点に繋がりそうである。

私たちが生きている、この世の中は、簡単に相手のことを評価できてしまう世の中である。
そのときに、過去にその人を縛りつけ、マイナスの方向へ追いやろうとする風潮は、もちろん歓迎できない。

過去に寛容になり、今に対して、センサーがどのように反応するかの感度を高めていく。
そういった今を生きる、素敵な世の中になると良いなと思う。

横山武史騎手が

笑顔で、
「この馬で勝てて、本当に嬉しいです」

と話しても良い世の中になりますように。

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