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読書感想 周りから求められていること

全国的に梅雨明けが発表されている。
私の住んでいる地域はまだ梅雨明けをしていないようだが、天気予報を見ると来週から晴れの日が続きそうだ。
ハレの日のように、素敵な日があるといいなと願うばかり。

前段はこれくらいにして、早速本題に入っていきたい。
読書感想文を書いていく。
書籍は、「覚悟の論理 石丸伸二著」である。

先日あった都知事選挙で、「石丸旋風」を巻き起こしたことは記憶に新しい。
前安芸高田市長で、SNSを駆使して、旧態依然の悪態を変えていこうとする革命家(mcykmが勝手にそう言っている)の1人である。
私も当然のように(当然なの!?)
YouTubeを拝聴、拝見させていただいたが、歯に衣着せぬ物言いで注目を浴びている。
きっと本人は、ちゃんとその場に即した言葉を選択して話しているとは思うが、パンピー(私)から見るとなかなかの火の玉ストレートを放ってくるように見える。笑

その石丸さんが書いた書籍を読んでみての感想をまとめる。

まず感想の結論から。
「それぞれの立場に相応しい立ち振る舞いはある。それが自分の利があるのなら、その振る舞いはプラスに働く。周りから求められていることに目を向けることも時々は大切だ」

「時々は」と言っているところがミソである。

私は、「⚪︎⚪︎らしい行動をとってください」という「⚪︎⚪︎らしい」という言葉が苦手である。

例えば、学校をイメージすると、小学6年生12歳を想定する。校長先生から「最高学年らしい行動をぜひとってください。」と言われることがある。実際に私も小学6年生のときに言われたことがある。
そのときに「なんでそんなことしなくちゃいけないの?」と思ってしまうのです。
だって、小学校は6年間と決めたのは、国です。
その小学校の6年間のハコにはめられた子どもたちは、6年目(12歳)になると「最高学年らしく」と言われてしまうのである。
周りが勝手に決めてしまうのに。
仮に小学校が4年間とすれば、10歳が最高学年です。今度は10歳(4年生)が「最高学年として」と言われるのです。
その反面で12歳は、違うステージで後輩として教えてもらう立場。
国が決めた枠組みで立場が変わるのです。それに振り回される子どもたちって、、、
何が言いたいかというと、「〇〇らしい」に自己選択がないのなら、むやみに使うべきワードではないということ。

熱くなってしまいました。。。

でもでも、石丸さんの本を読んで、それぞれの立場に相応しい立ち振る舞いが大切なことを再認識させられた。
どうして大切か。
それは、私は1人で生きているのではなく、人との関係性の中で生きているから。
石丸さんも市長という立場でどう立ち回るかは苦心されたと思う。
(だって言いたいことは山ほどあると推察されるから)
相応しい立ち振る舞いができることで受けるメリットも石丸さんは知っている。

私は、「自分の好きなことをする」に大きく舵を切って生きてきた。
多分これからもきっとそういう生き方をするのだろう。
でも、それだけでは乗り越えられない壁にぶつかることは想像できる。
損得勘定はディスられがちですが、時にはメリットを考えて行動して、立場に合わせた行動もできると良い。
だって、この仕事を選んだのは、私だから。
(上記の子どもの「⚪︎⚪︎らしい」は選択権がない)

最後に私の大好きな鬼滅の刃の一幕と、為末大さんの言葉で締めたいと思います。

主人公の竈門炭治郎は鬼殺隊剣士の我妻善逸、嘴平伊之助と仲間になります。泊まっていた宿を発つとき、お世話になったおばあさんからこう言われます。
「どのような時でも誇り高く生きてください。」と。
すかさず伊之助が「どういう意味だ?」と聞きます。
誇り高く生きるとはどういう意味か。なかなか即答できない問いです。
その際に15歳の炭治郎はこう答えるのです。
「自分の立場をきちんと理解して、その立場であることが恥ずかしくないように正しく振る舞うことかな」

鬼滅の刃 4巻より

「好きなことをやる」ではなく、「世の中に求められていることをやる」もアリ。
「好きなことをやる」だけがすてきな生き方ではない。
「世の中に求められていることをやる」だって、
自分が必要とされる喜びを感じられるすてきな生き方なんだ。

生き抜くチカラ 為末大著

やばい、、、最近忙しくて文を短くまとめられない。
(言い訳がましい、、、泣)

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