社会見学雑文日記
日々、自分が生きてるこの時間を「当たり前なことじゃないんだ」と捉えると、目の前に飛び込んでくる情景は違うように写る。
抽象度を高くした世界を生きるとありきたりな時間経過になるけど、具体度を高くした世界を生きるといつもと違う時間経過を感じる。
諸行無常ってやつです。
自分も友人も両親もみんな、今この時間を抽象度を最大に高くすると「生きている」となってしまう。そう思うことの良さもある。みんな同じなんだと思うことで、共通点を見出すことで、所属意識をもつことができる。
ぼっちじゃないなと思えるんです。
抽象と具体を反復横跳びするような感じ。行ったり来たりして、動きの精度を高める。
自分の捉え方はどちら向きなのかも知っておく。右動き向きなのか、左動き向きなのか。
抽象で見ることが多いか、具体で見ることが多いか。
私は抽象で見がちなので、すぐまぁいっかとなってしまう。
まぁみんな生きているよね、子育てしてるよね、と大枠で見てしまう。
あと思うのは、一旦、一歩だけ逆に振ってみるのもアリだなと思う。
素早いレシーブをする感じ。
右にレシーブを素早くするために、一歩だけ左に出す。そして、右に動くと素早く動ける。
抽象で見ることが多いなら、一旦具体に一歩踏み込んでみると勢いがついて、一気に抽象に振れる。
二律対立で物事を捉えたとき、
反復横跳びのようにどっちにも跳んで行ったり来たりさせて、バランス良く動きを良くしていく。
レシーブのように一旦逆に踏み込んで、自分の得意な捉え方に飛び込み、見方を高める。
子どもを見ていて、
鬼滅の刃の録画を「また同じの見ているな」と抽象度高く見るのではなく、
「アイカツをやる前に鬼滅を見るのか」
「鬼滅の無限列車の前の話を見たいのか」
「CMは2倍速で観れるようになったのか」
と具体で見てみる方に振ってみる。
それが反復横跳びなのかレシーブなのか。
今はバランスの方かな?と簡単に自問してみる。
こうやって自己理解が深まるといいなと、子どもの様子を見ていての社会見学でした。
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