社会見学雑文日記 賢い人たちと交わる

今日は子どもの学園祭で、子どもの成長を感じて、胸がいっぱいになりました。ダンスの披露でした。何よりも笑顔が良かった。「楽しそう」が親として1番嬉しいもんだ。

それが終わって、午後はグダグダしていましたが、オンライン会議が夕飯前にあるとのことで参加した。日程が合わずに、なかなか参加できていなかったが、今日は上手く合わせられて良かった。自分の気持ち的にも。

そこに参加しているのは、私なんかより遥かに賢い方々である。にも関わらず、少し手間取ってしまい、遅れての参加となった。

ただでさえ、私の入る余地のあるスペースではなく、終始聞いて内容を噛み砕くだけで精一杯である。終わりの終わりに気を使わせてしまい、わたしに話を振ってくださり、少し口を開けたていどでした。でもこの時間は私の中では結構大事だなとも思っている。結構腰は重いけど。

よく言われる話ですが、自分が成長できるかどうかは、どこに身を置くかによって決まるという話は真理だと思っている。

部活を例に例えると、高校までは、私と同じくらいかややレベルが上の友人がいた。高校では、同じレースにも出て、勝ったり負けたり(ほぼ負けか笑)高校の部活の環境は、私とそんなに大差なかった。

しかし、大学を彼は関東の強い大学に入学した。入学できたのは奴の力ではあるが、運も持ち合わせているやつなので、高校3年時で大きな差があるわけではない。(何度も言うが負け惜しみではない笑)でも、彼は関東の強い大学に運良く入学することができた。

そしたら、みるみる差が広がっていった。高校では、全国大会に出場が目標で、出られるようになって喜んでいた。(私も辛うじて全国に出れた、良かった〜)
大学では、私はまぁ全国を目指すところ。彼は全国の表彰台を目指すところ。

勿論、彼の努力、ポテンシャルもあると思う。でもこの事例から考えるのは、取り巻く環境も大きく影響していることだ。競技のレベルが高い人たちに囲まれた彼は、彼の中の常識が少しずつ変化していったことだろう。練習や生活の違いだけでなく、話す言葉も競技力を高めるものだったに違いない。

この経験(一次情報)から、自分のレベルを上げるために、どこに身を置くかを決めることがかなり大切になると、強く実感している。

今日のことに話を戻すと、賢い人と話す機会があったことは、今の私のレベルを高めることにプラスになったなと思う。

イメージするのは、冷たくない飲み物を氷の入ったコップに入れたときのイメージである。冷たくしたい飲み物が氷の力をもらって冷たくなる。でも、氷は温かさをもらって小さくなってしまう。

つまり、賢い人と話せたということは、私にとってプラスだったけど、相手にとってはマイナスであることが多々あるものだ、ということ。

人と関わるときにいつも意識することである。

あーたくさん面白いこと知ったなー

元気をたくさんもらったなー

とテイクしている時は要注意である。

その時は同時に、

俺は◯◯に何かタメになる話できたかな?

元気を与えることはできたかなー?

と自問したい。

ちゃんと自分もギブできたかどうか。

テイカーの周りには、良い人は集まってこない。ギブできたか、大事にしたい考えである。

寝る前に久しぶりにアンパンマンを見た。
しかもアンパンマンが生まれる前、直後のヒストリーである。

人に何かを与えると胸の中がホカホカするなぁ。

アンパンマンはギバーの極みかもしれない。

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