見出し画像

読書感想 さびない生き方

久しぶりのnoteだ。特に忙しかったわけではないが、土日休みが続いていたり、送別会などで大酒してしまって、休日を潰したりと読書ができていなかったことが原因だ。
はい、言い訳です。
読もうと思えばいくらでも読めたはず。noteも書けたはず。

今日は久しぶりに読書したところ、一冊一気読みをしてしまった。
面白く、考えさせられる本だったからだ。示唆に富んでいると私は思う。

今日は、「102歳、一人暮らし。石井哲代、中国新聞社著」である。

どうして、この本を手に取ったかというと、インフルエンサーがオススメしていたからである。笑
少なからず、自分の中に「お年寄り」がトレンドワードになっていたことも事実。
超高齢化社会を迎えて、人口ピラミッドが下記のようになることは統計上必須。
未来予測とかではなく、間違いなく訪れる未来なのである。

2021年現在で、一番人口が多いのは「45〜49歳」二番目は「70〜74歳」ということ。
医療技術の発展で、人生100年時代とも言われている。

この2点の事実から考察できるのは、この25〜30年は、お年寄りの人口が非常に増えると言うことである。さらに踏み込むと、その先もずっとお年寄りの割合はあまり変わらないとも言える。
70〜74歳が25年経ったら95〜99歳、45〜49歳が25年経ったら70〜74歳となるからである。
もちろん、亡くなられる方もいらっしゃると思うので、その人数がそのまま上にスライドするというわけではないが、下に行けば行くほど幅が狭くなることが目に見えている。(上のグラフのことを話している)

つまり何が言いたいかというと、高齢者と定義されている65歳以上の方の生き方がこれからの日本を左右するといっても過言ではないと言うことである。
私はここ半年〜1年近く、このことにかなり注目しているし、自分にできることはなんだろうと悶々と考えている。自分もどういう生き方をしたいかということも含めて。
もう一度大事なことなので言うと、
「高齢者の生き方が、日本が素敵な国になるかどうかめっちゃ重要」
ということ。

このことを考えるために、本書は啓示的な本だったと体感できた。

ではどんなところが啓示的だと感じたのか。

この言葉に集約されるなと熟考される。

「さびない生き方」

著者の哲代おばあちゃんは、本書の序盤で「さびない鍬でありたいの」と話す。

私の手も鍬と同じです。長年使って曲がってしもうて。でもね、若い頃からずっと「さびない鍬でありたい」と思ってきたの。何かしていないと人間もさびるでしょ。体も頭も気持ちも、使い続けているとなびないの。鍬は私の一生の宝物でございます。
引用:102歳、一人暮らし。

本書では、

体も元気。
よく笑う。
哲代さんのレシピ。
運動は欠かさない。
電子ピアノで弾きながら、歌う。
脳トレも欠かさない。

などなど長生きの秘訣がたくさん書かれている。

どれもこれも私は、

「さびない鍬でありたいの」

の哲代さんの思いに通ずると思っている。

さびない生き方を信念として持っていると、じっとなんてしていられない。
動いて、動いて、動く。

歳を取り、体が利かなくなると、動くのが億劫になることが多い。
すでに私も、若いときのように動く気力が生まれないことが所々で感じている。

老いに抗うわけではない。
老いを受け入れつつ、今できる体の使い方、頭の使い方、心の使い方を最大限使い切ることだと思うのだ。
「最大限」というのが結構ミソだと思っている。
老いというのは、どんどん進んでいく。
調子がいいときにやろうは、一向に訪れないと思う。
今日が人生で一番若い日です。
今を最大限に使い切ることが、楽しみ尽くすことにつながるのではないかと思っている。

日本のお年寄りがみんな、
「さびない生き方」
をやっていったらどうなるのだろう。

お婆ちゃんの知恵袋でいっぱいになるのではないか。

超高齢化社会を憂いていても仕方がない。
もう訪れる未来をどう自分の行動に繋げられるか。

また悶々と考えみたい。笑

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?