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#6 HIPHOPとマオラ族


HIPHOPを好きになったのは中学の頃で、映画「天使にラブソングを2」や、深夜につけたMTVで車を跳ねさせるDreやSnoopのPVがキッカケだったと思う。



小学生の時も歌番組ではラップが流れていたし、普通の人にはできないすげーかっこいい音楽だ!みたいな印象はあったが
異国の人達が放つあの風貌ほどの衝撃はなかった。



50CENT、EMINEMが話題沸騰の時期で、ドンキホーテにいくと
"洋楽ヒット!オムニバス!"みたいなのが沢山あって面出しされていた。
わかりやすく、キャッチーなサビ、俺はそんなHIPHOPに夢中になったし、今でもこの時代の音楽は大切な存在だ。


B系、ギャル男、が入り交じれた環境で育ったのもあり、同時期にキテいたトランスにも夢中になった。




高校に入る時にはJ-REGGAEもめちゃくちゃ流行っていて
学校にいるギャルの一部はBガールへ。
俺も長めに残した襟足とオサラバして坊主頭にした。


その高校で、仲良くなった友達と
"マオラ族"というチームを結成した。


※※※マオラ族の掟※※※
・マオラ族は木の上で寝る
・マオラ族は彼女を大事にする
・マオラ族は諦めない
・マオラ族は火を焚いて儀式をする
※※※※ ※※※※ ※※※※



そんなマオラ族の儀式を校内のピロティーで行ったことがキッカケで高校は半年で退学になってしまう。



ホウキに火をつけて、「ウォッ!ウォッ!」とかやってたら
先生が4人くらい怒鳴りながら走ってくる光景がスローモーションに焼き付いている。



中学の頃も、朝5時くらいに学校へ進入して
まるめたトイレットペーパーを燃やして
中庭に投げたりしてたから
多分ずっと火が好きな奴なんだと思う。
先生達からしたらゴッサムシティの小悪党みたいな奴だったんだろうな。
大きな事件にならなくてよかった。





次に編入した夜間定時制の高校は、
ヤンキーが多かったし、色々と大変な事件が多発したけど
卒業する頃には 親世代の方〜オタク系〜不良まで仲良くなっていたし、すごく楽しい高校だった。



そんな夜間高校に編入して間もない頃
新入生を迎える会で登場した生徒会長は
カンゴールのハンチングに皮ジャケットで


「あぁえっと、、新入生のみなさん。おめでとうございます。」


と気だるそうに話す。

彼は隣町まで名前が届くような喧嘩番長だった。えっ!?生徒会長!?
と周りの連中はざわついていた。



ある日、学校の近くにあるドンキホーテの駐車場でタムロしてると
「お前そんな格好してるけどHIPHOP知ってんの?」と生徒会長が話しかけてきた。
喧嘩をやめて、今はDJ活動と勉強に本気で生きている様子だった。


そんな会話がキッカケで、俺はラッパーデビューすることになったのだ。



HIPHOPのメインストリーム以外は全然知らなかったし、深いことは全くわからないまま月1でクラブでライブするようになった。

ゆくゆく、そんな生徒会長の紹介で出逢ったのがDJスマイルさんなんだから
人生はやっぱりメチャクチャだ。




活動を始めて、Gangerが結成されて、
だいぶ経った時
もっとHIPHOPが知りたい。
みたなノリでレコード屋で働きだした。




俺が、あの時
マオラ族を結成しなかったら

今俺はラッパーじゃないかもしれないし

様々なDJ達がレコ屋で円盤を手にするタイミング、つなぎ、現場のグルーヴ下で起きる様々なアクションやアクシデントに恋事情。
にも俺の業務がつきまとってるはずだ。



マオラ族の一員ではなかったものの
退学した高校で知り合った友達は
事故からの自然治療にも寄り添ってくれた、今もしょっちゅう遊ぶワタルだ。



今の全てにつながるバタフライエフェクト。



マオラ族のメンバーとは疎遠になってしまったが
俺はマオラ族のおかげで、CDデビューができたんだ。


ありがとうマオラ族。



アクションして、下手こいても、
それがいずれの何かに繋がっていく。

俺はラッパーである以前に
マオラ族の戦士だ。

マオラ族は諦めない

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