見出し画像

#7 始動


2MICからソロで作品を作るとなると、
単純に描く量が倍になるわけだけど
描くテーマの観点も、フローも
Gangerと全く違う角度からアプローチしたのが功を奏し、リリックはスラスラ描けた。



いいペースで新しい曲を作っていくのが楽しかったので
"おかわり"を沢山させてもらって
CHIBA-CHIIIBAさんとは頻繁に連絡をとっていた。



「はやくフロアの床で転がり回ってる林太郎くんに会いたいよー!^_^」


的なメッセージもなんせコロナ禍あとだったので、久々の再会が待ち遠しい。

あぁ、最後のライブは中野heavysic ZEROで転がりまわっていたのか。

とクラブ活動を思い出しながら、沢山曲が生まれていったし、楽しい時間だった。





この時点までは、作った曲をどう発表しようとかは考えていなかったのだが
例の事故から自然活動を挟みながら、再び制作に取り掛かかる頃には
フィジカルリリースしてカムバックだぜ!!
と猪突猛進に仕上げにかかった。




働いているレコ屋にも、色んな人が顔を出してくれて
なかには「山で倒れて大変だったって聞いたけど!?」と伝言ゲームのように変化したエピソードを耳にした時は面白かった。

しかしこのままでは
"ダイオウイカとクジラと三つ巴で戦った末"くらいに話が広がりかねない!
ラッパーとしてリリースをする事が、噂を耳にした人への一番いい便りになると思った。


のと、単純にソロアルバムを発売する!
というのはいずれ、必ず挑戦する壁だとも感じていた。




同時期に、DJ KANAYANさん、にっちょめさんから声をかけてもらって
参加曲のレコーディングを経験したことも復活の追い風になった。


レコーディングからマスタリングまで担当してくれた8ronix(Bullpenlab.)さんにも、心配をかけた分
好き勝手やらせてもらった。
MC林太郎に秘められた可能性、Gangerとは違ったアプローチをマンツーマンで伝えてやろう!みたいな謎の自信に満ち溢れていた。




そしてこの制作期間に Bullpenlab.でLaLapaloozas が生まれた。



スタジオ、現場、制作、
色々とできる事から取り戻していく間にも

シーン最前線のクラバー達は
提案しあい、協力しあい
止まっていたパーティも再び動き始めた。


Gangerのライブ活動も復活を果たしたのだった。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?