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#5 ソウルミュージック




入院沙汰になる少し前から、
ソロでの楽曲制作を始めていた。




共演をキッカケに知り合った
CHIBA-CHIIIBAさんの作るBEATは
ソウルミュージックのサンプリングループが際立って
ファンキーな選曲とテクニックで踊らせてくれる彼のDJプレイを彷彿とさせる感じが
個人的にツボだった。





ラップを始めたばかりの頃は
ビートメイクやサンプリングへの知識や好奇心は薄かったけど
MPCの存在を知る頃にはその手法の魅力を充分に感じていた。





ソウルやファンクを聞くようになったのは
誰でも聞き馴染みのあるようなモータウンのベストヒット的コンピや、
20代前半に働いていたお好み焼き屋でブルースマンの店長から教わって好きになったのが
オーティスレディング、サムクック、忌野清志郎。



「ブルースって重たく感じるときあるよな。
気分がブルーになるから、ブルースっていうんかな?
あっ、でもこんなに腰から盛り上げるブルースもあるぜ!いえい!
次の曲いってみよう!」




とキャベツを切りながら音楽を教えてくれた店長に、ある日




「店長、ジャムってなんですか!?」
と聞くと 俺のことだよ〜と流された。





その日の営業が始まって
一番忙しいピークタイムのドタバタと
鉄板の熱で尋常じゃない蒸し暑さの中




「林太郎!これがジャムだぜ!」





と店長がいったのを忘れない。








そんな店長に感化され、ブラックミュージック、ヒップホップのルーツはなんなんだろう!?という思いから
1ヶ月間NYハーレムへ、ゴスペル一人旅をした。


また、これと同時期くらいには
名古屋で開催される「橋の下世界音楽祭」へ足を運ぶようになっていて
土臭いバンドや、各国のルーツミュージック、ソウルを感じたことが
今のGangerらしさの基盤を作っていて




Ganger結成前に
将軍と出逢ってすぐの時も、
オイオマエ!ソウルキイテルカ?と
互いのソウルを交換したりした。




この時こそ、ボーカルやコーラスばかりに耳が向いていたが
数年後、バックサウンドの暖かさに惚れ込んだ頃には
CHIBA-CHIIIBAさんと出逢っていたという訳だ。




彼のビートを聴いた時は、直感的にソロでやりたい!と思った。
コロナ禍に入ったばかり、GangerのLIVE活動が休止したタイミングだった。




地道な活動を重ねてきたGangerが
爆発的に飛躍した2019年の勢いが急に無になることは
寂しさだけではなく、勢いを殺してしまうことに不安な気持ちも混ざっていた。



世界中が不安に包まれる中

ライブを観に来てくれた方から
「Gangerのライブを見ると、元気が出るんだよ!ありがとう!」と言われたのを思い出した。



暗い世の中を明るくする
前向きな曲を作っていこう!
俺が次やりたいことはそれだ!

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