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自分の手持ちの札(カード)で生きていく

大学生の娘がサンクスギビング(11月の終わり)からうちに帰って来て、今までの約2か月間を家族4人で過ごして来たのだけど、いよいよ明日大学のあるシカゴのアパートに戻ることに。

本来なら今頃友達と会って、出掛けて、勉強もして、青春を謳歌するこの大学生活をこの様に全てがオンラインでほぼ1年を過ごす事になってしまって、可哀想だなぁ、って感じるんだけれど、よく我慢して今出来ることを頑張っている様で、すごいな、って思うし、来年度はもうちょっと何とかなって欲しい、と思ったりする。

子供達が小さい時から良く話して来た私の考えの一つは題名の通りだ。
「人は自分が持って生まれてきた自分のカードがあって、その組み合わせはそれぞれ違うし、丸っきり同じカードを持っている人なんていない。だから人は一人一人違う。お前達も自分のカードをしっかり見て、上手く使っていかないといけないんだよ。トランプの『大富豪』と一緒で強いカードを持ってても使わなかったらゲームで負ける時もある。使える時に上手く使える人がトランプでも勝てる。逆に弱いカードでも使い方で勝てる時がある。」


私は、人は生まれた時にそれぞれがトランプのカードみたいに自分の手持ちの札(カード)を持って生まれてくる、って思ってる。カードの枚数も人それぞれだし、強いカードや弱いカードもある。自分が持っていないカードを他人が持っていることもあるし、その逆もある。

人生を生きていく中で、そのカードを様々な状況下で如何に上手く使って生きていけるのか、が後々の結構な差となって出て来るのではないか、と思ったりする。これは別に小賢しいことではない。自然に気が付かずにその様にしてみんな生きているとは思ってる。

生きていく中で、自分の努力でカードを増やしたり、減らしたりすることもある。人生のパートナーと一緒に生きていくとなれば、お互いに持っていないカードを合わせて最強の組み合わせにすることも可能だ、とも思ってる。

何故こんな風に考えるようになったのか、というと、やはり私の名字が変わっていたからだと思う。詳しくは


幼稚園児~小学2年生位までは毎日学校で名字の事で笑われたりからかわれて本当にしんどかった。しかし母親に「何でも親が出来ることはやってあげたいけど、名字を変えることは出来ない。」って言われて、仕方なしに嫌々ではあるが、自分の生まれた時にもらったカードの一つなんだ、って思って諦めた経緯がある。だから「結婚する時は”佐藤”とか”田中”とか普通の名字の人と結婚するぞ!そしてこのカードを処分する。」って思ってた。小3の時点で。。。はい、マセてましたね、完全に。

お金持ちや名家といわれる家柄の同級生も多かったし、子供の時はそんな同級生が正直羨ましかった。でも、そんなどうしようもない事は名字を変える事が出来ないのと同じで、諦めるしかない。そこでうじうじやってないで、それよりも自分のカードを磨いて強くして、増やして生きていく、そして人生のゲームに勝つ努力をする方が早いな、ってある意味小学生の時から開き直っていた。こう考えると変わった名字という”私のカード”は、私に色々な事を早く気付かせてくれた良いカードだったのかも知れないけどね。

我が家の子供達は私とは違うカードを持って生まれてきた。強いカード、弱いカード、勿論ある。だから何度も子供達には「弱いカードでも組み合わせたら強くなるからその方法を考えよ。強いカードを持ってることで、他人から羨ましがられたり、嫉妬されてのんびりするな、それを磨かないと、使わないままゲームは終わる。『大富豪』で強いカードがいっぱい来てても負ける時あるやろ?あれは出し方が悪いねん。」

コロナ禍でも自分のカードを磨いたり、新しい組み合わせを考えて逆に上昇気流に乗る人達はいっぱいいる。娘にはこの逆境も手持ちの持ち札(カード)を冷静に見ながら、上手く使いながら、自分の力に変えて、将来の夢に向かって頑張っていって欲しい、って心から願う。

何だか「アツい母親」ですみません。バイリンガル育児の頃はこの数倍は燃えてました。。。もっと暑苦しかったです。。。🌋